2014年3月6日木曜日

新羅・百済は倭の地方自治体、天智は知事だった


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録33:18頁

 これで「新羅とは後世の植民地だった」という重要な史実が確認できた。

 それは壹與を新羅の始祖・赫居世と書く記録も事実だと裏書きする。

 この事実は新羅を半島だけの国家としてきた間違いを指摘している。

 新羅と百済は永い間、倭の地方自治体だったのだから、

 その真の支配者は倭国王=天皇で、

 半島にいた王は今なら府県知事にすぎなかったのである。

 『三国史記』を読む際は、

 この点に神経を配って、

 王と書かれた人物は天皇か知事か

 明確に区別する研究を忘れてはならない。

 またこれで『隋書』の、

 「新羅・百済は音、倭を以て大国と為(な)す」の大国とは、

 大=支配者のことで、宗主国という意味だったと確認できた。

 このことはさらに、

 大化改新の真相まで真実の光で眩(まばゆ)いほどに照らし出す。

 天智天皇=天開別(チヌ・ハラキ)=金春秋(チヌ・ハラキ)は

 新羅知事だったのであり、その戦いは内戦だった。

 もちろん唐が出兵して介入したことは事実だが、

 これも幕末に徳川幕府がフランスの援助をうけ、

 薩摩がイギリスと組んだが、

 だからといって、

 誰も、維新戦争を国際戦争だと思わないのと同じで、

 大化の大阪戦争の真相は、

 その規模の大小にかかわらず、

 天皇家一族の内紛にすぎなかった。

 この意味で政権紛争として書く

 『日本書紀』の「大化改新」像は、

 本質的には妥当なものだ。

 しかし天武天皇が小細工をし過ぎたために、

 肝心な真相が消されてしまったのである。

 《新羅・百済は倭の地方自治体、天智は知事だった
 「新羅・百済は倭の地方自治体、天智は知事だった

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