2013年12月7日土曜日

大阪湾にはナゼ?サカ~サタがないのか?


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:22頁

 いうまでもなく仁徳天皇は応神天皇の皇子である。

 「応神天皇以前は神話・フイクションだが、

  応神天皇以後は歴史である」といわれている

 『記・紀』の、その「歴史」の実態は、この程度のものなのである。

 そんなものをただ漢文を古風な和文に変えて、

 いっそう意味不明にした程度のものが

 今も「史学書」として通用している。

 今なおそんなものを出版し続けている版元の知性は、

 悲劇的としかいいようがないと思う。

 次に重要な問題は、

 四国から近畿へ渡る最重要部分に、

 この「サカ~サタがない」ことである。

 仮にこの部分の渡海が、

 「神功皇后紀」が舞台にしたように、

 やはり壹與時代だったなら、

 そこには大隈海峡横断と同じく、

 必ずサカ~サタが残ったはずである。

 それがないのは、

 この付近が壹與や卑弥呼たちと、全然、無縁だという証拠なのである。

 2~3世紀に近畿にいたのは

 奈良県の唐古遺跡から出土した楼閣図土器の絵のような楼閣を今も作る

 中国少数民・ヤオ人であって、

 現代もなお生駒山西麓に八尾市という大きい地名を残している。

 そこにサカ~サタがない理由はこう考えられる。

 その①は、

  そこがほとんど島で繋(つな)がっていて、

  どこをサカ~サタと決めていいか、

  決めようがなかったということである。

 その②は、

  壹與系の支配者の断絶で、

  そうした地名をつける習慣がなくなった場合である。

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