2013年12月29日日曜日

鎌足の阿武(アム)山と大織冠(オオしょくかん)の真相


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:14頁

 これで倭国東遷の証拠がさらに充実したが、

 それより私たちの本来の主題である

 建国史のヒロイン・卑弥呼の名の語源が、決定的にわかることのほうが重要である。

 それを整理してみよう。

 茨木市に残る安威・藍野・鮎川がいずれも「アイ」の発音をもち、

 卑弥呼の本来の発音「ぺマカ(パーリ語)」の意味である

 「愛」の中国語発音「アイ」に一致することで、

 彼女の伝統を継ぐ政権がそこにあったことが証明されているが、

 これにはさらに強力な証言が加わってくる。

 この茨木市には、

 藤原鎌足の冠位「大織冠(しょくかん)に相当する装束の、

 遺品とされる玉製品が出土した彼の基があることで有名な

 阿武(あぶ)山がある。

 この本来の発音は「アム」で、安威以上にアムピトリテの略名に一致していた。

 この「阿武」は、

 また萩市(山口県)を流れる阿武(あぶ)川と、

 その北東にある阿武町に代表される阿武郡が知られているが、

 それは名力士「阿武の松」を出したからである。

 この力士の醜名(しこな)はアブノマツではなく

 「オオノマツ」と発音するから阿武の古書が「オオ」だったことがわかる。

 すると百済倭国(フジワラ)(藤原)鎌足の墓が造られたから

 その山が「オオ=倭」山と呼ば阿武山と当て字されたのだとわかるし、

 さらに彼の冠位「大織冠」の大は「倭人(オオ)」で、

 織は「職=役職」、

 冠は「上(かみ)・守(かみ)」、

 倭人を管理する長官といった国名だったとわかる。

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