2013年12月26日木曜日

サタの語源をパーリ語と断定できる理由


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:11頁

 次はサタだが、ギリシャ語にもマレー語にもない。

 パーリ語の sata は「百・正・善・法・念」で、

 卑弥呼の名乗りの倭迹迹日百襲姫の百(=百済)に合い、

 佐多半島が百済なら続く曽於が襲の国(蘇奴国)で、

 百襲姫の名乗りが一層詳しくわかることにもなる。

 また佐太の大神とは「正法、正念の王」ということで、

 本来は仏教指導者だったが敗北後に「神」にされたものとみると、

 前後の関係がさらに浮き彫りになるし、

 「正念場(しょうねんば)」という言葉は、

 追い詰められた状況で覚悟をきめることをいうから、

 嵯峨から出雲へ大脱走を試みた佐太の太守の心境そのものである。

 本来はそんな状況とは全く無関係な仏教用語の「正念」が、

 こんな異常な意味に使われるのは、

 百済倭国の敗走時にこの言葉が生まれて今まで伝わった、

 超大型事件の記憶以外にはありえないから、

 語源はこのパーリ語だと断定していい。

 サタの最南端は沖縄県宮古郡伊良部町の佐和田で、

 これは「サーダ」と沖縄式発音で引き伸ばされたもの。

 また沖縄本島に国頭(くにがみ)郡・国頭村・佐手がある。

 沖縄にはサカ・サガはない。

 同様の離島部には、

 鹿児島県西部沖の甑(コシキ)島の首都・里(サト)がある。

 新潟県の佐渡島(サドがしま)と

 山形県の寒河江(サガエ)市とが

 対称的な位置にあるのと、

 この里と鹿児島県の栄(サカエ)町群とが発音、

 位置関係とも共通なのは、

 見逃せない研究対象である。
                        
 《サタの語源をパーリ語と断定できる理由

 「サタの語源をパーリ語と断定できる理由

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

 《装飾古墳
 「装飾古墳
 《考古学の最新発見
 「考古学の最新発見

0 件のコメント:

コメントを投稿