2013年12月2日月曜日

坂井~佐多間のサカ~サタは247年のもの


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:17頁

 だが「神功皇后紀」には

 ① 橿日浦=香椎、

 ② 伊覩(イト)県=糸島郡

 ③ 和珥(ワニ)津=対馬の上県郡

 ④ 字瀰(うみ)=福岡県粕屋郡宇美町

 ⑤ 新羅などが続出するので錯覚が起こるが、

 5年3月の記事には対馬の「鉏=サカ」の水門(みなと)という地名が出てくる。

 しかし対馬にはこれに合う地名はなく、

 神功皇后の実体である壹與も卑弥呼も、

 ともに対馬や朝鮮半島へは行った事実もなく、

 また当時の朝鮮半島には辰韓国はあったが、新羅と呼ばれた国はない。

 「地名」は孤立したものではなく、

 集団とともに分裂・移動して複数になり分布していく。

 それを研究して史実を復元するのが、我が「言語復原史学」の骨格である。

 だからこの新羅は、

 新羅の発祥地である

 鹿児島県揖宿(イブスキ)郡

 枚聞(ヒラキッ)=シラキ津=今の開聞(かいもん)町のことで、

 そこへ行く対馬とは開聞岳が見える位置にある島でなければならない。

 とすればそれは対(ツイ)になった国(マ)、

 すなわち種子島と星久島を、

 まとめて呼んだ古名以外には考えられないから、

 「鉏=サカの水門(みなと)」は種子島の坂井のはかにはない。

 すると天孫を連れて大隅に渡った壹與の出発地は坂井だったと特定できるし、

 地理的にも最短距離の佐多岬に上陸したことは確実だから、

 この部分のサカイ・サタは、

 壹與が邪馬壹国女王になった247年(正始8年)のものだと、

 すべて合理的に結論し、断定できるのである。

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