2013年12月14日土曜日

「言語復原史学」を知っていた元明女帝たち


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:29頁

 ここでついでにお話しすると、

 前ページ右の地図でおわかりのように、

 河内地区の河川は皆、

 後世の埋め立て工事で生まれたもので、

 倭の五王当時は大阪湾と河内潟の水底にあった。

 「河内とは、多数の河に囲まれたという地名」という在来の説明は、

 全国の河内という地名が河川と無関係なことも、

 河内潟の存在も知らなかった戦前の故事つけで、

 河内は鹿児島県の川内などとともに

 「コウチ」への当て字にすぎず、

 それは南九州人の移住と共に

 「高知・高津・高市」など

 様々な当て字地名を生みながら、分布したものである。

 倭の五王の名乗りが、

 彼らのコースに残る地名と全て一致するのであって、

 そこに前からあった地名を名乗ったのではない。

 これまで繰り返し見てきたように、

 それらの地名は彼らの故郷(国)の名を

 新しい領地につけた「所有者を明示する標識」である。

 その河内の本来の発音「カフチ」が、今は「カワチ」、と変わっている。

 これは故郷の川内(コウチ)も「センダイ」と変えられているように、

 中央政権の強権による発音規制の遺物で、

 それは元明女帝の713年、

 「諸国の郡部名には好字を用いよ」と

 改名を強制したことで有名な史実である。

 これこそ『記・紀』の虚構を地名が暴露することを恐れた証拠であって、

 当時の天皇たちは、

 私たち同様、

 地名が真実の歴史の生き証人であることを、

 熟知していたのである。

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