2013年12月31日火曜日

愛知、渥美、越もアムピトリテから生まれた


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:16頁

 この二つのイバラキの中間には

 滋賀県の愛知(えち)川、愛知県の「アイチ」があり、

 その愛知県には渥美(あつみ)湾と渥美半島があり、

 静岡県には安倍川がある。

 「アツミ」は「アンミ」の「ン」を助詞とみて「津」を使ったもの。

 「アイチ」は「藍ノ」のノを「津(チ)」に取り換えたもの。

 「エチ」は「アイ」を南九州語で「エ」と訛ったものだから、

 エチゼン・エチゴの「越」もまたアムピトリテの子孫なのである。

 この地域が日本海に依存する漁業と海運の海人国だったことは周知の事実で、

 隼人族圏だということは江戸時代から指摘されていたし、

 住民の姓も南九州人と共通のものが目立つ。

 こうみてくるとその越前に隣りするのは

 種子島という名をもつ丹波・丹後・但馬なのだから何の疑念も残らないし、

 また丹後には網野もある。

 ではこれらの地名を残したアムピトリテはどこで?、いつ?、

 そうした地名を生み始めたのであろうか?。

 卑弥呼がぺマカと呼ばれたのは、

 間違いなく天若日子ソナカと結婚してからだから、

 後漢の桓・霊の間(2世紀後半)以後である。

 それは彼女のもつもう一つの呼び名が「愛」で、

 それをパーリ語で呼んだのであるから、

 位置はまだ南九州本土に入る前、

 南海の島での歴史である。

 だからこそ、

 ぺマカは沖縄語化してピーミャーグァと訛ったのだ。

 《愛知、渥美、越もアムピトリテから生まれた

 「愛知、渥美、越もアムピトリテから生まれた

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 《参考:年表・資料》

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