2013年12月18日水曜日

出雲神話の「出雲」とはどこか?


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:3頁

 朝鮮半島へ行って戻ってきた素戔鳴(スサノオ)尊と位宮の行動範囲と歴史は、

 完全にオーバーラップするから、出雲が百済倭国滅亡後の地名だとすると、

 素戔鳴尊=位宮が今の島根県の出雲で八俣(やまた)の大虵(おろち)を退治した、

 という在来の解釈は絶対に無理になる。

 それは八俣大虵は卑弥呼=天照大神をデフォルメした象徴なのに、

 卑弥呼が島根県で死んだことはもちろん、行ったことさえないからである。

 では『出雲神話』の「出雲」とはどこか?。

 『日本書紀』の一書に、素戔鳴の尊は

 「安芸の国の可愛(エの)川上にくだる。

  そこに神がいて名を“脚摩手摩”といい…」と書いてある。

 この安芸を在来は今の広島県だと決めていたが、位宮が卑弥呼と戦ったのは倭国で

 「倭はウワイ」これは「上井」と書くから「アゲイ」と読め「安芸(アゲイ)」と書ける。

 素戔鳴の安芸(アゲイ)は倭(ウワイ)=上井を読み違えた当て字で、

 位宮が攻め取った邪馬壹国以外にはありえない。

 そこなら可愛(エの)山陵のある川内(せんだい)市に流れ下る長流・川内川があり、

 出雲と同じ発音をもつた「出水=イズン」もある。

 素戔鳴の尊は『魏書倭人章』が卑弥呼の敵として記録した卑弥弓呼素(ヒミカンカソ)であり、

 山幸であって、その卑弥呼との闘争の舞台は、大隅諸島と鹿児島県南部に限られている。

 そんな事件は、島根県の出雲や広島県では、絶対に起こらなかったのである。

 《出雲神話の「出雲」とはどこか?

 「出雲神話の「出雲」とはどこか?

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

 《装飾古墳
 「装飾古墳
 《考古学の最新発見
 「考古学の最新発見

0 件のコメント:

コメントを投稿