2013年12月28日土曜日

倭国と共に移動し分布した女神名(アムピトリテ)の地名


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:13頁

 その手掛かりは女神の名の後半「トリテ」にある。

 東京都からJR常磐線で北東に20kmの利根川北岸に

 茨城県取手(トリデ)市があり、

 その北東20kmに阿見(アミ)町(稲敷郡)がある。

 取手市は今は「トリデ」と発音しているが、

 その文字は幕末まで下級警官の呼び名だった「取手=トリテ」と同じだし、

 網はそれを使う取り手(漁師)がいなくては役に立たない。

 阿見と取手はワンセットになった名前だから、

 間違いなく「アムピトリテ」を守護神にした一族の居住地に、

 南海から海人たちが運んだギリシャ文明の遺産なのである。

 ではそれは、いっ?生まれたのか?。

 その地域の大地名になっている茨城(いばらぎ)がその時間帯を物語ってくれ。

 なぜならそれと同名だとわかる「茨木(いばらぎ)」は、

 大化改新まで倭国が都(みやこ)していた大阪府北半部の重要地点・茨木市にあって、

 その経済環境もどちらも大河に沿った古代の水郷地帯である。

 また茨木市には今も穂積・大住・藤の里=百済(ポセイ)。

 泉、泉原=出雲(イドン)があり他にない不思義な地名「安威(アイ)」がある。

 これは継体天皇陵の藍野(あいの)と共に卑弥呼め語源である「愛(アイ)」でもあるが、

 「アムヒ」が河内弁では「アンイ」になるから、やはりアムピトリテの遺物でもある。

 すると同市の十日市・戸伏という地名も

 トリテ→トイチ→トーイチ→トフシと

 変化した遺物だとわかり、

 阿見と取手は660年代の倭国の大化東遷の遺物だと断定できる。

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