2014年1月7日火曜日

「無い」ことも強力な証拠になる言語復原史学


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:23頁

 またその鏡を一方的な視点だけからみて、

 猥喪(わいせつ)な化粧道具としか見なかったのが、

 新羅の国名のもとになったシーラ・バッガ(戒律)派の教義だった。

 そのため韓国南東部を占めた半島新羅の遺跡からは鏡が出土しない。

 皆無ではないが

 それはシーラ・バッガ派以外の反対勢力の遺跡が少数混じっているからで、

 原則的には鏡を排斥していた史実を十二分に立証している。

 この国名と教義名の一致。

 鏡が遺物の中にない教義との一致。

 始祖王とする赫居世(女王・壹與)を同じく教義に合わせて

 男王に替えている『三国史記』新羅本紀。

 これだけでも新羅の国名と教義の関係は明かである。

 唯物史観に基づく発掘考古学は、存在するものだけに囚(とら)われて、

 「無いもの」は何の証拠力ももたないが、

 私たちの言語復原史学は、

 このように「無いもの」も強固な証拠になることを、

 よく比較してご認識戴きたい。

 沖縄語では「津」も「チ」と発音するから、

 十市(トオチ)に遠津(トオチ)と当て字できる。

 卑弥呼時代には、そこは魏使が「投馬」と書いているから、

 馬(マ)=国(マ)で、国として扱われていたことがわかる。

 その投馬まで伊都国から南へ「水行20日」、

 ぴったりトカラ列島までの所用日数に一致する。

 これらの十市・掖上・秋津島を在来の学者は

 全部、奈良県にあるとして済ましていた。

 もちろん、

 その十市の語源がギリシャ神話にあることなど、

 想像すらしなかったのである。

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 「「無い」ことも強力な証拠になる言語復原史学

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