2014年1月29日水曜日

巨大文化財『永良部(エラブ)』と沖縄産・具貨


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:12頁

 ③ ヤマトの超古代史

   ハムラビ法典で有名な、

   バビロニヤ第一王朝のハムラビ大王が

   敵のラルサ王・リム・シンを

   捕虜にして奪った本拠地が

   「エラムのヤマトバル」だった。

   エラムは沖縄語でエラブ=沖縄~鹿児島両県にある永良部(エラプ)。

   ヤマトバルは大和原=奄美大島の大和村と一致する。

   そのバビロニヤも紀元前1530年にカッシイト人に敗れて四散した。

   こうした人々が日本列島へやってきた証拠群が、

   宝島やトカラ列島の名を残すカリエン人の古代貝貨産業であり、

   武内宿祢一族の姓氏であり、

   高句麗、コーレアンからバイカル湖にいたる多数の関係名詞であり、

   広く東アジア各地から出土する沖縄・奄美近海原産の貝貨遺物である。

   その海域の両端に口の永良部(エラブ)と沖の永良部(エラブ)という島名が、

   巨大な文化財として今も残る。

   日本人が永い間、

   固有の国名だと思い込んでいた「ヤマト」は、

   そうした人たちが運んできた古代メソポタミアの地名だったのである。

   と大学講義録5の25頁や大学講義録9の25頁などでお話しした。

   追加すると、

   アラビアではヤマトは地名としてギリシャ時代にも残り、

   ヤマトロンとして栄え、

   移動拡大してYaman=英語読みの

   「イエーメン」として現代も残っているが、

   私たちにとって見逃せないのは、

   それが多くの国でギリシャ人を意味する名詞として使われてきた。

   その代表的なものが「八幡」だからである。

   その各国語のリストをご覧に入れよう。

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