2014年1月15日水曜日

重要な「崇(あが)む」と「拝(おが)む」の言葉の歴史


 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:31頁

 リストの幼名アガフイから転訛したものを、

 念のため補足してご説明しておこう。

 ① の「アガム 崇拝は」

 本土語では「オガム 拝む」に拡大する。

 これを在来は全く反対に本土語の「拝む」が

 沖縄へ伝わって「崇む」になったとしてきたが、

 拝むというのは手を合わせたり、神前で拍手したり、

 頭を下げたりする「行動で表現する行為」をいうが、

 崇めるというのはそうした「行為」ではなく、

 脳で考える「思考」の問題なのである。

 釋迦は哲学として仏教を説き、偶像崇拝を厳禁したのだから、

 ソナカがもってきた仏教は、

 手を合わせたり礼拝したりする後世の仏教とは全然建ったもので、

 釋迦に対しても「崇め」はしても「拝み」はしなかった。

 「拝む」という行為と言葉は、

 後世に「アガム」が本土で「オガム」に発音が変化して生まれたもので、

 語源は沖縄語の「アガム」の方である。

 このように「崇む」は卑弥呼の幼名がもとになって生まれ、

 シンドゥ教などによって後世に「拝む」に変えられたという

 「言葉の歴史」を持った日本語なのである。

 だから「崇む・拝む」という日本語は卑弥呼以前にはなかった。

 それが卑弥呼の幼名から生まれて政権崩壊後に変化した。

 これは卑弥呼が沖縄言語圏にいて、

 哲学仏教の指導者だった証拠で、

 我が国の建国史上でも、

 言語史上でも、

 宗教史上でも、

 最も重要な動かぬ証拠の一つなのである。

 《重要な「崇(あが)む」と「拝(おが)む」の言葉の歴史
 「重要な「崇(あが)む」と「拝(おが)む」の言葉の歴史

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

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