2014年1月16日木曜日

アガフィの名を伝える「証(あか)し」と明石


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:32頁

 『魏書倭人章』は

 「尊卑各差序あり」と下戸(げこ)と大人(たいじん)の行動差を詳しく描写して、

 どんなに酷(ひど)い階級制度があったか、

 また「搏手(はくしゅ)して跪拝にあてる」と書く。

 搏手=拍手は神を拝む法

 また

 「持衰(じすい)=行路安全祈祷者」を殺し、

 犯罪者の宗族を滅ぼす等という記録は、
 
 全て仏教ではなくシンドゥ教で、

 この記事は邪馬壹国私立後の国情を、

 張政が記録したものであって、

 卑弥呼時代のものではない。

 前記の「崇・拝」問題に啓発されると、

 在来の説が「卑弥呼の邪馬台国の風習だ」としているのが、

 どんなにひどく間違っているかわかる。

 ②の「明石(あかし)は」

 今の兵庫県の明石市、

 播磨の東端に当たり、淡路島の北端に向かいあっている。

 播磨は巴利国からの移住者の国。

 淡路島は本講で重視した

 「大阪湾国生み」の舞台になった重要地域であるる。

 また「証(あか)し」は、

 真偽、黒白を決定する証拠のこと。

 社会の秩序を守り、混乱に終止符を打ち、

 知性によって理想郷をつくり上げる重要な知恵である。

 卑弥呼はその仏教で、様々な「証し」を見せる必要があった。

 それを『魏書倭人章』は

 「卑弥呼は能(よ)く衆を惑す=相手を心服させ、

  魅きつける能力を持っている」と記録している。

 それが「疑問を明かにするアカイ様の力(ちから)」だから、

 新しい日本語「明し・証し」として使われるようになり、

 後継者の代名詞になり、

 その大本山が「アカシ」と呼ばれて明石と当て字されたのだ。

 《アガフィの名を伝える「証(あか)し」と明石
 「アガフィの名を伝える「証(あか)し」と明石

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 《参考:年表・資料》 

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