2014年1月6日月曜日

神武天皇当時には地図があった我が国


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:22頁

 だが現実に沖縄本島へ行ってみると、

 大きくて、とてもそこがトンボに似ているなどと、

 わかるものではない。

 神武天皇がその国の形を見て秋津洲(しま)と呼んだのは、

 小島ではなかったことを物語っている。

 天皇は地図を見て、そういったのである。

 卑弥呼の鏡は光通信と日時計と土地測量用の器具として貴重品だったと、

 40年前から講義し、私(加治木義博)者『邪馬臺国の言葉』以下の著書に書き、

 テレビでも繰り返し説明してきたが、

 それは古墳や遺跡や記念物をメートルに一致する尺度で測量した直線上に配列したり、

 対馬と壱岐の間を1000里と測量しているように、

 早くから実用化していたし、

 正確な地図も作っていたのである。

 皇室の三種の神器も在来の説のような迷信による「象徴」ではない。

 すべて不可欠の文明の利器として役立っていたのであり、

 だからこそ神聖視されていたのであって、

 野蛮な段階の人が意味もなく恐れ奉る迷信の象徴やトーテム同様こ扱い、

 説明してきた在来の学説は、

 それこそ大した知性もない野蛮な段階の学者が、

 漫然とコジ付けただけのものに過ぎない。

 それは三種の神器の持ち主を故(ゆえ)もなく軽蔑させたばかりでなく、

 私たちの祖先に事実無根の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せて、

 世界の人々に未開野蛮な異教徒のイメージを植え続けてきた。

 私が我が国の史実の解明に生涯をささげたのは、

 こうした悪と戦い、一掃するためにはかならない。

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