2013年7月19日金曜日

天皇家の信仰の本質と成長過程


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:29頁

 こうした事実と、

 これまで見てきた我が国の古代信仰の遺物とを考え合わせると、

 皇室の信仰は、

 まず古くシュメルに始まった宗教だった。

 それは「スメロギ=シュメル王(ギ)」という称号その他の遺物が、

 バビロンの滅亡で四散したカルデア人=カリエン人の一部が

 台湾・沖縄に宝貝王国を建設して栄えた事実を、

 歴史と大量の遺物、文化財が教えている。

 次いで、

 紀元前4世紀にアレクサンドロスの東征を引き継いだギリシャ人が、

 与那国島を皮切りに琉球列島から北上し、

 高族の政権と合体、継承したためギリシャ信仰が重なった。

 またインドからウッタラ第1次仏教宣布団が、

 中国地方から東海に銅鐸時代を展開、そ

 れと並行してシンドゥ教が広まったあと、

 後漢の孝桓帝、孝霊帝のころ、

 第2次仏教宣布団のソナカが沖縄を経由して南九州に上陸、

 卑弥呼と結婚して仏教をひろめ、

 ソナカの戦死後、

 卑弥呼を女王とする大倭人達邦が確立して長期政権が続き、

 三国時代の動乱の余波で卑弥呼政権が敗北移動した後も、

 さらに様々な政変はあったが、

 倭国は所を変えて存続し、

 次第に東遷して近畿に至り、

 聖徳太子時代を頂点とする仏教時代を現出、

 大化政変以後もなお仏教の様々な教義を加えて

 渾然(こんぜん)と一つになったものなのである。

 だから皇室の信仰を「神道」と呼ぶのはいいが、

 それをシンドゥ教だけだとするのは大きな誤りである。

 《天皇家の信仰の本質と成長過程
 「天皇家の信仰の本質と成長過程

 『My ブログ』
 スメル8千年 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

『< 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

 《装飾古墳
 「装飾古墳
 《考古学の最新発見
 「考古学の最新発見

0 件のコメント:

コメントを投稿