2013年7月3日水曜日

3人の仏教女王と高句麗の宗教


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:13頁

 赫居世は新羅初代の国王だから、

 壹與から始まった国だということになる。

 彼女の記事がある同じ

 『魏書』の『東夷・韓伝』をみても新羅という国はなく、

 5世紀初めに倭の五王たちを記録した

 『宋書』には新羅が明記されているが、

 倭王の支配下にある国の一つとして、

 中国政府も認めているのだから、

 赫居世が始祖だと書く

 『新羅本紀』は正しい。

 邪馬壹国が生まれて、

 彼女が卑弥呼の跡を継いだ当時は、

 国名こそ巴利国から邪馬壹国に変わったが、

 政治の基本である信仰は「ミーマンサー教」だったという名乗りを、

 御間城姫皇后も、日葉酢媛皇后も名乗っていた。

 少なくともしばらくは国家宗教には自立つ変化はなかった。

 それが後にシンドゥ教に大転換したのはなぜで、

 それはいつのことか?。

 それは彼女らが全て高句麗王家の出身だったことに理由がなければならない。

 新羅とちがって

 高句麗は『魏書・東夷』に、

 独立した『高句麗』という1章をもっている。

 そこにはその宗教が次のように貫かれている。

 「居所の左右に大屋(たいおく)をたてて、

  鬼神を祭り、霊、星、社稷(しゃしょく)を祀る」。

 鬼神の鬼は卑弥呼の鬼道を思わせないでもないが、

 仏教は「星」は祭らない。

 また社稷というのは土地の神と穀物の神のことで、

 これも仏教の神ではない。

 その宗教は森羅万象に神が宿るとする多神教の一種だったというのである。

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