2013年7月11日木曜日

位宮の名乗りの真相と当時の領地支配


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:21頁

 位宮はどうなったのか?。

 そのとき位宮は「助けた亀=道主たちの海軍」につれられて、

 竜宮城=琉球へ行った。

 原記録を書いた魏の史官や陳寿は知らなかったが、

 位宮はもともと琉球を領地として相続した王子だったから、

 南九州語で琉球を意味する

 ジク(ジキュウ)という名乗りで呼ばれていたのであり、
 
 本当は「似宮」のほうが正しいのだが、

『魏書・高句麗章』はそれを反対に誤解しているし、

 『三国史記』も「一名 位宮」と書いているので、

 似宮では、いちいち説明をっけなければならないから、

 便宜上、私(加治木義博)も位宮のほうを使っているので、

 ここで一(ひ)と言(こと)お断わりしておく。

 何故それを「イキュウ」と発音するかは『魏書・高句麗章』が

 「句麗は似ているというのを位という」と説明している。

 高句麗語は「似」を「イ」と発音していたのである。

 領地を親から貰うのは少年時代であるのに、

 浦島の話では、彼はその時、

 初めて琉球へ行ったことになる。

 これは果たして事実だろうか?。

 『三国史記』には、

 位宮が深夜に先帝の皇后・于氏の訪問を受けた話が記録されている。

 皇后は夫が死ぬとその死を極秘にさせて、

 すぐ夫の上の弟・発岐(ハッキ)を訪ねるが

 発岐が誤解して会わないので、仕方なく下の弟の位宮に会い、

 危急存亡の時だからと直ちに高句麗王に即位させる。

 一族は近くに住んでいたのだ。

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