2013年5月23日木曜日

ソナカ(稚彦)の死とアレクサンドロスの弔問



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録23:28頁

 《ソナカ(稚彦)の死とアレクサンドロスの弔問
 「ソナカ(稚彦)の死とアレクサンドロスの弔問

 ところが、

 その矢が『知恵名声王』のからだを貫き、

 通り抜けて『思索帝』(高皇産霊尊)のところまで飛んでいく。

 『思索帝』はその血ぬられた矢を見て

 「稚彦は戦っている。この矢もいるだろう」と地上へ投げ返す。

 するとその矢は真っ直ぐ元の場所に落ちて、

 食後、横になって寝ていた稚彦の胸をつらぬき、稚彦は死ぬ。

 今「返し矢、恐るべし」という諺があるのは、

 このことをいうのだ。

 そのとき『微笑む長老尼』(下照姫)がなき悲しむ声が天に届いたので、

 『天の雉王』(天の国玉)は稚彦の死を知り、

 『運び馬』

 (疾風(はやて) hayati 馬、速力 harati 運ぶ、持ってくる)をやって、

 稚彦の死体を天に運ばせ、服喪中、死者を入れる喪屋を建てて殯(もがり)をした。

 すると葦原中国の稚彦の友人・アレクサンドロス(味耜高彦根神)が弔問に訪れた。

 彼は稚彦によく似ていたので、

 家族たちは稚彦が帰ってきたと大喜びした。

 アレクサンドロスは

 「友情で遠くまで弔いに来てやったのに、

  死人と間違えるとは無礼な」と

 かんかんに怒って、

 『援助者(すけっと)』

 (大葉刈 upakarin ウパカーリン 援助者・堡塁)

 という名の剣で喪屋を斬り倒した。

 喪屋は地上に崩れ落ちて山になった。

 今、美濃の藍見(あいみ)川上流にある喪山がそれだ。

 世間では死人に間違われることを忌み嫌う。

 それはこの事件がもとになっているのである。

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 《参考》
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