2012年2月1日水曜日

「日向」以外にない「日高見」



『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録06:6頁

「日向」以外にない「日高見」
「日向」以外にない「日高見」

これで「倭」とは何だったか?という問題に、また一つの答が加わった。

それは「アヅマ」とも呼ばれていたのである。

その東の国へ初めて調査に行った人物として記録されているのが、

応神天皇を名替えに連れていった武内宿弥である。

『日本書紀』[景行天皇25年]の記事に、

宿弥を北陸と東方の諸国に派遣して地形と人々を視察させたとあり、

27年に東国から帰って

「東夷の中に日高見国がある。

その国民は男女ともチョンマゲに似た髪を結い、

入れ墨し、勇敢である。

その名を蝦夷という。

土地が肥えて広い。改めて取りましょう」と報告している。

従来はこれは今の北陸・奥州の蝦夷=アイヌ人だとしてきたが、

アイヌ男性は髪の毛をオカッパにしていて絶対にチョンマゲなど結わない。

蝦夷は「カイ」であって「貝人=カリエン」のこと。

また北陸奥州では貝産業は成立しないから、北陸とは北にある陸地、

東国とは倭国のことでなければならない。

沖縄から南九州にかけては日高姓の人が多い。

この日高を「ヒコウ」と読めば「日向」と同じ発音になる。

残る「見」は沖縄では「目」を「ミ」と発音するが、

他の地域の古語では「マ」で国を

意味する当て字だからこれは「日向国」への当て字とするしかない。

宿祢は日向を視察して帰ったのである。


『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録 

『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録
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