2013年11月30日土曜日
「神功皇后妃」にもミズハワケの神
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:15頁
「神功皇后紀」の冒頭には、
仲哀天皇が9年2月に筑紫の橿日(かしい)の宮で崩じたので、
齋宮を小山田邑(こやまだむら)に造り、
3月に皇后みずから神主になり、
武内宿祢らと神託を乞うと、
いろいろな答がかえってきた中に、
神が
「日向の国の橘の小門の水底に居て、”水葉稚之出居神”
その名は表筒男、中筒男、底筒男神である」
と答えた記事がある。
この地名は『古事記』が書く、
黄泉国から逃げかえった伊耶那岐の命が
禊祓(みそぎ)をした場所と全く同じ地名でありり、
『日本書紀』の書く「筑紫日向、小戸の橘」が間違いであることを
『日本書紀』自身が告白している。
またその神名の表筒男、中筒男、底筒男の神もまた、
その伊耶那岐の命の禊祓(みそぎ)の場面に登場する神々であり、
さらに“水葉稚”は「水葉稚=ミズハワケ」で大学講義録28で詳細に検討した
反正天皇の名乗りと同じ名であり、
そのミズハの語源である伊耶那美の命の尿から生まれた神のミズハノメが、
ギリシャ神話のエウリュノメから生まれた神名であることなども、
すぐ思い出して戴けたことと思う。
この橘は間違いなく種子島であり、
神宮皇后=壹與が玉依姫・オオヒルメとして、
姉・豊玉姫=狭穂姫の忘れ形見・
八幡=鵜草不葺合命(ウガヤフキアエズのミコト)=本牟智和気を連れて大隅に渡った、
あの事件であったことは、
これらの複数の記録の一致から全く疑いの余地がない。
《「神功皇后妃」にもミズハワケの神》
「「神功皇后妃」にもミズハワケの神」
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