2013年11月11日月曜日
高句麗以北・シベリアまで支配していた孝霊たち
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:14頁
ではその次の「子」は何だろう?。
「日子・彦」が日の国の貴族を意味すると錯覚していた在来なら仕方ないが、
それは仏教徒の男子を指す「卑狗=比丘」への当て字だとわかった今では、
卑弥呼以前の支配者たちが「比丘」を名乗るわけがない。
ことに『日本書紀』執筆者は明かに反仏教の神道派で、
優婆夷を意味する「倭」を忌み嫌っていたのだから、
当時は比丘(ヒク)は乞食妨主を意味していた。
これは近世まで尾を引いていたほどだから、
日子(ヒコ)などという名を皇祖皇宗の天皇につけるはずがない。
それなのに『日本書紀』は、さ
すがに日子は彦に変えているが、
「根子」は『古事記』と全く同じ文字を使っている。
その根は「根の国=高句麗」以外には考えられない。
子も「日子」の子が貴族など意味しないとわかったのだから、
王や皇子の意味などあるはずがない。
とすればこれも独立した国を指しているとしか考えようがない。
この国名の謎を解くヒントになるのは首都だった巴利国=隼人町から
東南・辰巳の方角にある地域が大隅である事実である。
大隈(タスミ)はタスミだが、
古代日本語は大学講義録29・12頁の罽須の例のように
スとツの差がなかったからタツミである。
子(ネ)・丑(ウシ)・寅(トラ)という干支は殷代にもあったから、
当然、カリエン人時代からの我が国の常識だった。
「子」は北端の国、高句麗以北の扶余=旧満洲・シベリアを指している。
高句麗以北・シベリアまで支配していた孝霊たち
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