2013年11月16日土曜日

始皇帝が憧(あこが)れた天武天皇の宗教とは?


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:24頁

 それだけではない。

 彼女を活用したのは天武天皇である。

 彼の信仰は彼の名乗りをみればわかるとおり仏教ではない。

 彼はシーラ派の天智天皇系政権を倒すのに、

 革命で閉め出された倭人を活用したが、

 それは彼が仏教徒だったからではない。

 政権を手に入れる必須条件として妥協しただけである。

 では彼の信仰は何だったのか?。

 その答がこのピュテーアなのだ。

 その名乗りは

 「天渟(テンティ)(天帝)・中原(チュウゲン)(大地)・瀛(エイ)(大海)・

  真人(シンジン)(人)で、説明は不要の「天地海人」であるが、

 それはわざわざ天帝を意味する発音でゼウスを誇示し、

 中原で国家の中央支配を誇示し、

 瀛(エイ)で海上権の支配者・海人の王を誇示し、

 同時にそれらの権力が秦の始皇帝・臝(エイ)に匹敵すると誇示するために、

 埠皇の名乗りを使って瀛真人(エイシンジン)と名乗り、

 なおかつ彼の出身地がエイ=頴娃(鹿児島県揖宿(いぶすき)郡)であることまで

 徹底的に工夫を凝らしてある。

 稗田阿礼の実在は、

 こうして天武天皇の信仰がゼウス・アポロン・ポセイドンといった、

 卑弥呼以前からのギリシャ信仰だったことを証言すると同時に、

 その信仰の分布地=南九州から台湾までを

 蓬莱(ホーライ=ギリシャの季節の女神)や瀛(エイ)洲と呼んで、

 不老不死の秘法を求めに徐福らを派遺した始皇帝が憧(あこ)れたその宗教とは、

 まぎれもなくこのギリシャの、

 「不老長寿の教えをもつ信仰体系」だったことを、

 併せて明確に証言しているのである。

 始皇帝が憧(あこが)れた天武天皇の宗教とは?

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