2013年11月20日水曜日
2本立て正史と遣物がある、もう一つの理由
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:4頁
その淡島=卑弥呼を『日本書紀』本文は完全に無視して書かない。
いかに嫌悪(けんお)していたかが読み取れる。
私(加治木義博)はこれまで『日本書紀』を「唐向けの対外謀略文書だ」と言ってきたが、
『古事記』をそう呼ばなかったのは、こうした違いがあったからである。
この男尊女卑強調部分は間違いなく国民向けの『教育勅語』であって、
唐に対しては何の影響もないからだ。
このことでおわかりのように、
天皇たちは最初から
『古事記』は国民向け、
『日本書紀』は唐向けと、はっきり区別して編集させていたのである。
それはなぜか?。
それは天武天皇が近江前皇朝を滅ぼすことができたのは、
強力な提携者・旧倭国々民の力によるものだったからだ。
倭国の旧首脳は大半が天智軍に殺され、残りも東に逃げ去ったが、
蘇我石川麻呂らの有力者が残り、国民構成は倭国時代とはとんど変わらない。
天武天皇自身は自己の思想と宗教を強制するだけの実権は持てなかった。
これが飛鳥に仏教寺院と一緒に、
仏教とは異なる宗教遺物、
亀石や酒船(さかぶな)石、
鬼の雪隠(せっちん)などが残り、
近くにイスケンダルというアレクサンドロスの別名をもった
「石上神宮」があり、
そこにはシンドゥのシバの象徴であるリンガの遺物が大土に集められている。
こうした2本立て正史と神仏2本立ての国家宗教は、
この天武政変の実態が理解でできれば謎は残らない。
《2本立て正史と遣物がある、もう一つの理由》
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