2013年11月6日水曜日
山幸彦なのに名乗りは海神・ポセイドン?
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:6頁
これで「火・出産・妻の死」によって冥界を訪れた伊耶那岐命の実体は、
垂仁天皇であり、位宮だったことがわかった。
彼は最愛の妻を焼死させる原因を作った狭穂彦を滅ぼしたから、
これは「妻を焼き殺した火(ホ)の神(穂(ホ)・百(ホ)の王(かみ))を斬った」
という部分に一致する。
また「冥界行き」は、
彼が山上王として高句麗へ出かけていったことに相当する。
そこは句麗(くれい)(暗いの南九州語)・玄(くろ)(黒)という文字が使われる
暗黒の冷たい世界=根の国であり、彼はそこで魏軍と激戦して死に直面した。
そこを冥界にたとえたとしても不思議ではないし、
そこから必死で脱出して、辛うじて種子島に逃げ帰った。
伊耶那岐命が日向の橘(=種子島)で水禊(みそぎ)をしたというのは、
そこが水神の国=海神国だからであり、
位宮もまたそこで、確かに生き返った。
こうして見ていくと神話は、細部までよく分析して描写し表現している。
『古事記』の豊玉毘売の夫は
山佐(狭)知毘古=天津日高日子穂穂出(手)見命=火遠理(ホオリ)命である。
穂穂(ほすい)はホスイ、
出見(イズミ)は出水(イズミ)で南九州発音はイヅン、
足すとホスイヅン。
ポセイドンの沖縄発音
「ポ=ホ、セ=ス、イ、ド=ヅ、ン」になる。
ここが肝心のところだ。
彼ははっきり「ポセイドン」と名乗っているのである。
彼は「山幸」であって「海幸」ではないのになぜ「海神」なのか?。
豊玉毘売の父は海神・綿津見大神で、
彼はその後継者だからだ。
山幸彦なのに名乗りは海神・ポセイドン?
山幸彦なのに名乗りは海神・ポセイドン?
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