2013年11月22日金曜日
ヤマ神王・位宮と倭人の風習とその記録者
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:7頁
潮満つ瓊(たま)や宇宙卵(らん)の存在で、
山幸彦=位宮は、シンドゥ教徒だったことが明白になった。
それなら「ヤマ」はシンドゥの神・ヤマ、すなわちシバ神以外にない。
それは彼が垂仁天皇として、狭穂姫なきあと娶(めと)った后妃の父は丹波の道主、
道主はビシュヌー神という名乗りだからヤマ神という名乗りも当然あった。
位宮の高句麗王としての名乗り「山上王」も正しい発音は「ヤマカミ王=ヤマ神王」で、
サンジョウォウと読むのは間違いである。
このことからも『三国史記』の高句麗王だからと、
位宮を朝鮮半島人と思い込み、
高句麗は遠い外国だと思いこんでいた在来の学者の説は、
今では古くてもう役には立たない。
それ以上に重要な問題は、
『魏書倭人章』の記事がこれで一層、
鮮明に理解できるようになったことである。
なぜなら、
倭人は「大人(たいじん)は4~5婦、下戸でも2~3婦」と
一夫多妻制だったことを記録している。
仏教徒は一夫一婦制だからこれはシンドゥ教徒の風習である。
また倭人の入れ墨の風習も、
先住カリエン人男子の全身入れ墨だけでなく、
子供が入れ墨していたことも「大小なく」という記事でわかる。
今もシンドゥ教徒は子供の内から手などに精細な入れ墨をする。
奄美では明治の初めまで、
女性が手首から手掌(てのひら)の背に下図のような入れ墨をしていた。
その紋様は数種あるが、全てが明かにシンドゥ教のシンボルである。
「針突(はづき)紋」
川越政則著『鹿児島県史概説』より
《ヤマ神王・位宮と倭人の風習とその記録者》
「ヤマ神王・位宮と倭人の風習とその記録者」
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