2013年11月19日火曜日
政変に翻弄(ほんろう)された『記・紀』の編纂情景
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:30頁
ではそれらの海外神話は誰がもっていて、
いつ『記・紀』に利用されたのか?。
この疑問には、
天武天皇が早世したために国史再編を引き継いだ持統天皇が、
女帝の意思というより支持者十八氏に強要されて提出させた例の
『十八氏纂記(つぎぶみ)』が明瞭に答えている。
女帝がそれを読んで見ると内容は同じなのに文章は氏族によって随分違っている。
そこで現実的なものを『人皇紀』とし、
神話的なものをそれに先だつ、
より古い記録『神皇紀』として、その前に並べることにした。
これが『日本書紀』の神話部分に羅列された「一書」である。
本文に使われたのは、
持統天皇の母系である蘇我氏=ソナカ家のものである。
それは以後再び女帝の君臨する倭国型政体に復帰し、
国名まで「藤原=百済倭国(ふじわら)」にもどし、
国家宗教が天武型神道から
観世音を本尊とする卑弥呼仏教へ
大逆転したことが充分証明している。
本来の本文は日本の文字を使わず
倭の正統を主張する『古事記』だという考えもあるが、
『日本書紀』をみると『古事記』のものは「一書」の中にあって、
むしろ疎外されている。
だからそれはピュテーア=稗田阿礼を抱えていた奄美王の系統のもので、
以後も低い地位で終始した大(おお)氏のものに過ぎないから無視されて、
『日本書紀』編纂が進められたと考えるべきである。
だが『日本書紀』も以後の政変のたびに改変されて、
旧型はとどめていない。
政変に翻弄(ほんろう)された『記・紀』の編纂情景
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