2013年11月10日日曜日
天皇の名乗り中の「根」は高句麗のこと
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:13頁
時代は飛ぶが、ついでにお話ししておくと、
巨大古墳を造った倭王・興(こう)=百済の蓋鹵(コウロ)王もまた
「慶司=ケイシ=キース=キヒズ=吉備津」という名乗りをもっていた。
これらの吉備津の地名が卑弥呼時代には伊佐郡の東、
霧島に実在したことも大学講義録16でお話し済みである。
このリストで特に注意がいるのは孝霊、孝元両天皇の名乗りである。
『日本書紀』が書く大日本は、
在来は『古事記』の大倭とともに、
どちらもオオヤマトと読んで日本全国の名と教え、
日本、倭と書くのは、
都の奈良のことだと、大小を対比させて説明してきた。
しかし奈良が日本と書かれた例も、
日本をナラと読む常識も例も全くゼロである。
それ以上に、
これまで見てきた史実が雄弁に物語るのは、
孝霊天皇当時には、
まだ全国を大日本と呼ぶ名は存在せず、
明瞭に実在したのは「倭」連邦だけだった。
『書紀』が書くこの名は、
『古事記』の倭を日本に改めただけの小細工に過ぎないと結論できる。
『古事記』の「大倭」も全国や連邦を意味するものではありえない。
この「大」は奄美大島などの地域国家の名であって1字ずつ
「大・倭・根・子」と4か国を指しているとみるのが正しい。
すると「根」は彼らが高句麗王だったのだから、
当然、大学講義録29・3頁でお話ししたように、
根の国・高句麗のことだったと理解できるのである。
天皇の名乗り中の「根」は高句麗のこと
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