2013年11月29日金曜日
「倭国史」を活写している「サカ~サタ」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:14頁
大学講義録28の9頁の地図をご覧戴くと、
サカ~サタの2地名が、
セットになって要所に分布している事実が一目瞭然にわかるが、
それは南九州から北九州へ、
大分から愛媛へ、
四国から中国地方や近畿へ、
さらに近畿から出雲へと、
種子島を出発した天孫族たち、
その中でも倭の五王勢力が大移動していった痕跡=五王の名乗りが
描き出すコースと、
その倭国王=大国主(オオクニヌシ)の出雲隠棲に非常によく合っている。
それらのサカ~サタは、
この景行天皇の時か?、後か?。
誰の時代に?。
誰がつけた地名か?。
その年代と歴史を明かにしてみよう。
本講座ですでに得た私たちの知識では、種子島から皇子を日向に運んだ記録は、
① 『大隅正八幡縁起』のオオヒルメと八幡がそれであり、それは前号で検討したとおり
② 狭穂姫事件の火の中(ホヌチ)別皇子、
③ 木花佐久夜毘売事件の火の中で生まれた3皇子、
④ 豊玉姫事件の玉依姫と鵜草不葺合命(ウガヤ フキアエズ のミコト)が、
皆、そのオオヒルメと八幡に一致する。
そうして、
この八幡が軽(カル)の明の宮(アカルのミヤ)(鹿児(カル)の阿鹿児(アカル)の宮)に
君臨した応神天皇であることもすでに検討済みだから、
オオヒルメは神功皇后であり、壹與だったことも動かない。
『記・紀』にはどちらも壹與としての記事はなく、
全て神功皇后として書かれているから、
年月を記入している『日本書紀』の「神功皇后紀」に、
この答を探してみよう。
《「倭国史」を活写している「サカ~サタ」》
「「倭国史」を活写している「サカ~サタ」」
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