2013年11月13日水曜日
『魏書倭人章』が立証する名乗りと史実の関係
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:17頁
ここで、もう一つ頭を働かせる必要がある。
それはこの天皇家は、
卑弥呼こと倭迹迹日百襲姫の実家(さと)=出身国の王家であって、
その夫のソナカ=仲哀天皇の天皇家ではないということである。
彼女が「年すでに長大」の老婆なら、
その兄弟姉妹がみ々な元気でいて、
将軍などになっているはずがない。
大半は死んで、この世には居なくなっているはずである。
それなのに11頁のリストでは、
その名乗りが、なぜか『魏書倭人章』」の登場人物に合う。
うっかりしていると、
全員が奇跡的に長寿の一家だということになってしまう。
だがそんな非常識なことはありえないから、
その研究は必ず後でボロを出して失敗に終る。
よく考える必要があるというのはこのことである。
では別人がなぜ?そんなにうまく合うのだろう?。
それはそれらが
「名の持ち主が死ぬとその名も死ぬ”その人(ひと)だけの個人名”ではなく」、
名乗りだから全て次々に継承されるからである。
卑弥呼の兄弟が滅少した時点のその実情を
『魏書倭人章』は明瞭に書いている。
「無夫婿(ふせい)有男弟」これは「夫も死に、妹も死んで弟しかいない」
ということである。
すると、その妹の名乗りと共通している地位に壹與がいるのは、
卑弥呼の妹ではない他人の壹與が、卑弥呼の死後、
その後釜(あとがま)に入ったということだ。
これまで諸説あって、
実態が疑問のままだった「宗女」とは、このことだったのである。
『魏書倭人章』が立証する名乗りと史実の関係
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