2013年11月24日日曜日
高句麗のシンボル玄武(げんぶ)はシンドゥ教徒だった証拠
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:9頁
その位宮当時の高句麗の宗教の謎も、その象徴になったもので解ける。
これまで在来の学者が「中国文化」だと教えてきた「四神」が、
本当は我が国の固有文化で、それが在来説とは逆に、
こちらが中国へ教えたのだという証拠でもある「四神の名」についいては、
繰り返しお話ししてきたから、
今度は日本語の語源という視点から「東西南北」をみてみよう。
インド神話の『乳海攪拌』は前にもお話ししたが、
北のトーテム玄武は、蛇は山を回す綱役のバースキュー龍、
亀は回転軸を支えるビシュヌーの化身・クールマで、
『乳海攪拌』の主役を象徴にしたもの。
それが亀(キ)、蛇(タ)=キタ=北という日本語の源流なのである。
これは高句麗は倭国連邦の「北の国」だったことと、
シンドゥ教国だった証拠である。
では連邦の「南の国」はどこか?。
南(ミナミ)は「皆(みな)・海(み)」。
倭国連邦の南の外れが皆、海になっている地域。
島国の種子島・屋久島以南、南西諸島から流球列島一帯だ。
では東は?。
古語「ヒムガシ」は「日向ヒ(ヒムカシ)」で大隈語。
日向が東の国。
これも卑弥呼時代だけに通用した特徴をもつ。
奈良に居たのでは「ヒガシ」という日本語は生まれない。
では「ニシ」はどういう語源をもつか?。
日向の西は九州や西部。
そこには一つしか語源になるものがない。
それは伊都国の最高官「爾(ニ)支」だけである。
《高句麗のシンボル玄武(げんぶ)はシンドゥ教徒だった証拠》
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