2013年11月27日水曜日
戒律が二転三転させた壹與の性別
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:12頁
こうみてくると、
同じ「シラ」の名をもった新羅国の始祖王が
13才で即位した赫居世であり、壹與であって、
彼女らが卑弥呼政権を倒して新たな国、邪馬壹国を建てたのは事実だ。
すると壹與がその戒律にさからう「女王」なのは、
余りにも大きな疑問である。
この疑問に答えるのが『三国史記』新羅本紀である。
そこでは十三才で即位した赫居世は男王として書かれている。
シラ派国(はま)だった新羅はいつまでも壹與を女王のままにして置くことはできず、
記録の上だけでも男王に性転換を強行するほかなかったのである。
しかし自国の歴史書は、どうにでも変更できるが、海外の史書はそうはいかない。
『魏書倭人章』は女王壹與の君臨を記録している。
これは位宮の仏教徒迎合政策も考えられるが、それ以上に強力な史実が記録されている。
それは日本武尊による熊襲梟師(たける)暗殺である。
日本という名の国は7世紀までは鹿児島県にしかなかったし、
熊襲は奈良の住民だという学者もいないから、
この熊襲梟師が本来の山人(ヤマト)=日本(ヤマト)武者その人で、
少女に姿を変えて梟師(たける)を倒した少年は、
その地位と名乗りを継いだ新・日本武尊になり、
蛮人・熊襲にされていた敗者のほうは、
この名乗りの継承が理解できると、
熊襲とは肥素(ヒノモト・クマソ)=日本、
すなわち当時の邪馬壹国の最高権力者・位宮のことだと確認でき、
王位を継いだ少年の実体は壹與になるのである。
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