2013年11月11日月曜日
当時、干支(えと)地名が実在した完全証明
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:15頁
しかし、それなら北だけでなく、
南も同じ干支(えと)で表現されていなくてはならない。
それは果たしてあるか?。
南の干支は「午(ウマ)」、
高句麗の南の国は馬韓国。
ちゃんと実在している。
まだその上に朝鮮半島の南西部を占める国は辰韓国、
「辰(たつ)」の方角を示す名をもっている。
孝霊天皇の名乗りは半島だけでなく、
当然のことだが九州を含んでいる。
馬韓国のさらに南に当たる九州部は未盧(マツロ)国。
これは分解すると「マ=馬、ツ=津、ロ=国」、
やはり午(ウマ)の国である。
今は松浦と書いてマツラと発音するから、ラは国だと一層よくわかる。
帯方郡使はラをロと訛る人だったのである。
その末盧国の南には牛津(ウシづ)という町がある。
卑弥呼当時には有明海に面していた。
これは午ではなく牛だが、
午はゴ、牛も牛頭(ゴづ)天王のようにゴの発音をもっている。
ゴは五(ゴ)で五(イツ)、
伊都もイツとも読むから牛津が
伊都国の港の遺跡だとご説明したことがある。
牛津は午津だった時代があり、
それは南の国・松浦の南の港という名だったのである。
さらに南九州で南の港とは、
当時どこを指していたか調べてみると枕崎がある。
ここは正しくは「マッラザッ」と発音する。
松浦(マツラ)と同名で馬津国(マッラ)の岬(さき)である。
またここは別名篭(かご)の枕崎とも篭の港とも呼ばれていた。
カゴのゴは午だから、
カは他と区別するために鹿児島の略「鹿(カ)」や、
郡名の川辺(かわなべ)の頭音などのカをつけたものとみると謎ではない。
当時、干支(えと)地名が実在した完全証明
当時、干支(えと)地名が実在した完全証明
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿