2012年2月25日土曜日
中国最古の帝国は日本人が作ったか
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:18頁
《中国最古の帝国は日本人が作ったか》
《中国最古の帝国は日本人が作ったか》
殷人と日本の関係は、
殷商帝国の都の跡である殷墟と、
茨城県稲敷郡とが、
共に北緯36度線の真上にあり、その間の距離が正確に2200kmあり、
稲敷郡にある福田貝塚から
出土した兵庫県西宮市・辰馬資料館蔵の「人面注口器」と呼ばれる縄文土器が、
殷墟から出土したワシントンのフリア博物館蔵の、青銅製の「人面注口器=中国名・人面盉(カ)」と
同じ信仰による25を越える共通点をもっているので絶対に無関係ではなく、
土器が古く、青銅器のほうが時代が後のはずだから、
殷人は日本列島から中国に移住した人たちだったと考えると、
現在なお日本列島に広く分布している
「イナ・イニ・イヌ・イネ・イノ・イン」のつく地名は、
その人々が縄文時代以来、日本列島に居住して残した遺跡文化財だということになる。
すると日本語の「イニシエ」は関西語の「いぬ=去った」の活用で「去にし世」の古形であり、
「イナい」も「昔はいたが今はいない」であり、
「居ぬ」「居ねー」「居ん」は全てその方言であることがわかる。
これらもまた殷人が日本列島にいた証拠だったのだ。
同じことは「稲」の古い発音にもみられる。
漢以前の発音は「トウ」で後世の「唐帝国」も「東」も同じなのは、
それらはみな「東方から来たもの」という意味なのである。
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿