2012年2月19日日曜日
仏教宣布団より前に来たイオニヤ人
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:12頁
《仏教宣布団より前に来たイオニヤ人》
《仏教宣布団より前に来たイオニヤ人》
イオニヤ人の移住がアショカ仏教宣布団の渡来とは別だという証拠はまだほかにもある。
それは仏教宣布団の言語であったパーリ語では、イオニヤを「ヨーナ」と発音して決して
イオニヤとは発音しないという動かない重要な条件があるからである。
このヨーナという発音からは、どんなにしても魚類を「イオ」と呼ぶ発音は生まれない。
またヨーナの名は全く別の名詞として現在まで残っている。
それは「与那国島」という島の名や
「与那原・与那嶺・与那覇」という地名や姓として
沖縄県に現存している。
仮にイオニヤ人がバーリ語を話す仏教宣布団の一員としてやってきたのなら、
それは先にみた生物名の命名原則に従って魚類を「ヨーナ」と呼ばねばならないのに
「イオ」と呼んできた。
これはイオニヤ人が別に渡来して、
すでに新たな日本語を作りつつあった後に仏教宣布団が到着して、
イオニヤ人の住む島を「ヨーナ国」と呼んだという以外に説明がつかない。
では彼等はいつ、どんなコースでやってきたのか…。
古くB.C.E.3世紀の秦の始皇帝の時代に、
すでに台湾は「蓬莱=ホーライ=ギリシャの季節の妖精の名」と呼ばれていた。
またギリシャ神話には金毛の羊皮を求めて、
ラコーン(タイから中国南部の古名)や
マラヤの岬(マライ半島)という地名のある沿岸を東に遠征した
「アルゴ船」の有名な記録がある。
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