2012年2月21日火曜日
『倭』の移動を跡づけるカボチャ
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:14頁
《『倭』の移動を跡づけるカボチャ》
《『倭』の移動を跡づけるカボチャ》
『倭』に視点を戻そう。
中国では、野菜のカボチャを「倭瓜(wO kua)」と呼ぶ。
その変わった瓜は日本産で、日本から輸入したものだと思われているのである。
だが注意がいるのは、それが近世に日本から中国にはいったものなら、
それは「日本瓜」と呼ばれ、
中世以前にはいったものなら「大和瓜」か「夜麻土瓜」と
呼ばれたはずなのに、なぜ『倭瓜』と呼ばれているのか…という点である。
日本ではそれはカボチャと呼ばれている。
面白いのはそれが関西で「>ナンキン」と呼ばれていることである。
ナンキンとは「南京」のことだか、こちらでは中国から来たとしている。
まるで正反対なのが面白いのである。
だが『魏書倭人章』にはカボチャの記載がなく、倭国時代にも日本では栽培していない。
カボチャとはカンボジャのことだというのは常識だ。
ウパイが東南アジアでウバイになり、
それも中国に入って優婆夷と当て字されているので、
当時の相互交通がわかる。
それがさらにウワイになり、ゥォになった。
倭瓜の発音が「ゥオクワ」なのは、倭が日本で「ゥオ」と呼ばれるようになった後、
その発音が中国南部に定着した時代に
倭人が提供したカボチャが中国で「倭瓜ゥオクワ」という名で定着した。
それは『魏志倭人章』時代以後で、
当時寒冷だった関西には温暖化が進んだ後世になって
南京経由で逆輸入されたとわかるのである。
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