2012年2月11日土曜日
出土柱跡はどれに合うか?!
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録06:26頁
《出土柱跡はどれに合うか?!》
《出土柱跡はどれに合うか?!》
ではそれほどの威力をもった南九州の鉄器文明はどうして実在したのか?…。
それは今秋、徳間書店から発売される私の
『日本誕生記・三大おとぎばなし』(仮題)に
書いてあるのでご覧戴きたいが、
その鉄器文明はギリシャ系の人々がもってきた文明だった。
これもまた卑弥呼がギリシャ系でなければ、
とうてい女王にはなれなかったという証拠なのである。
では最近、
大坂と奈良で相次いで発見された巨大家屋のものとみられる柱の跡は、
倭人が住んだ大屋と無関係なら、いったい誰のものだったのか?…。
今ミャンマーやタイ、中国の少数人民自治区に住む
カリエン、シャン、カチン、アカや、ヤオ人の家屋と、
インドネシアのスラウエシに住むトラジャ人の家屋などを比較してご覧戴きたい。
出土柱跡はどういう建物だったか、一と目で完全に理解できる。
大阪・奈良の家屋は、香川県出土銅鐸に描かれた大屋だとすぐわかるし、
その他の種族の人々も紀元前から日本列島の先住民として近畿圏にも住んでいた。
しかしその近畿圏での混住は倭人を含んではいなかったのである。
なぜなら陳寿が『倭人』と呼んだのは、九州人という意味で、
四国にいた人たちは「倭種」と呼んで区別しているからである。
『倭』とは、卑弥呼時代にやっと九州に到達した
「孤立」した『仏教徒の特殊集団』だったのである。
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