2012年2月20日月曜日
「八紘一宇」はギリシャ哲学思想
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:13頁
《「八紘一宇」はギリシャ哲学思想》
《「八紘一宇」はギリシャ哲学思想》
このアルゴ遠征団の記録を、
現在のギリシャから遠征したものと錯覚している人もあるが、
それはギリシャの古代史に無知なためで、
ギリシャ国家を形成したアーリヤ人のさまざまな部族が、
バルカン半島に侵入し始めたのはB.C.E.16世紀で、
B.C.E.14世紀には大部族のアイオリヤ人、ドリヤ人らが相次いで侵入、
イオニヤ人はすでに遠征して小アジアに入り、
B.C.E.100世紀にはさらにリディヤに植民地を作っている。
このアーリヤ人大移動は地中海周辺だけのことではなく、
B.C.E.12世紀にはインドにも侵入して中心地の
パンジャプ地方を完全に占拠していた。
だからギリシャ人、インド人という区別をやめて一括して同じアーリヤ人だとみると、
アショカ王一族がギリシャ人に違和感をもたず、アレクサンドロス大王の後継者と
自認していたのも少しも不思議ではない。
ことにアショカ王が仏教融和で全世界を一つにしようとした悲願は、
アレクサンドロスがペルシャ併合時、世界国家の理想を宣言して、
彼と高級軍人千人がペルシャの花嫁と集団国際結婚式を挙げた事実と結びつく。
その理想哲学が継承されたものが神武天皇の『八紘一宇』の真意で、
太平洋戦争中に曲解されたような侵略思想ではない。
アショカ王統を継承した古代天皇たちが常に、
倒し併合した敗者の王女と結婚するのは大王以来の伝統なのである。
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