2012年2月1日水曜日
「アヅマ」はなぜ東か?
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録06:4頁
「アヅマ」はなぜ東か?
「アヅマ」はなぜ東か?
新羅は後に朝鮮半島へ首都を移動して南九州には「日本」を残し、
7世紀後半に「倭国」を滅ぼしたのだから、
その壹與の皇子である応神天皇は本来なら「倭王」になるはすがない。
それなのに彼は「倭の五王」の初代、倭王・讃こと仁徳天皇の父である。
どこでどう食い違って「倭王」になったのだろう?…。
この「二つの倭国」の謎を解くキーが、
今回の本題の「名替え」なのである。
今さらにその謎を解くための新しい「材料」が揃ったことになる。
その材料とは「倭の五王」である。
その五代目の倭王・武は次のようにいっている。
「私の祖先たちはいつも鎧兜を着て山を越え川を渡り、
休む間もなく東へ西へ北へと駆け回って
多くの国を征服し続けた…」という。
だから彼は先祖代々の「倭国王」だったのではなく、
倭を征服した結果「倭王」の地位を維持したのだということがわかる。
このうちの西が爾支であり垂仁天皇の「入彦」だったことはわかったから、
今度は「東」について考えてみよう。
東を「アヅマ」と発音するのは、
日本武尊が「吾妻はや…」と嘆いたからだというのが
在来の説だが、それよりもっと確かな考え方がある。
「阿津馬」と書いてみると「阿=オ」だから「オ津国」で、
これは「乙国・弟国」すなわち今の京都府乙訓郡と同じ地名になる。
その京都の、ある時期の支配者は太秦だった。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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