2012年2月10日金曜日
弥生時代を支配した金属文化
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録06:25頁
《弥生時代を支配した金属文化》
《弥生時代を支配した金属文化》
これほど明確に、卑弥呼当時までの倭人は九州中心に、
銅鐸人は近畿中心に住み分けていた。
最近発見された大坂府や奈良県の弥生遺跡は、
「全て銅鐸人の遺跡」であって、
絶対に倭人のものではない。
では銅鐸人とはどんな人々だったのか?…。
それは大坂府の東端にある
「八尾市」の地名が証明する「ヤオ人」でなければならない。
今、中国から東南アジアに分布する彼等は、銅鼓を儀式に使う人たちであり、
八尾は打楽器の伴奏で賑かに祭りを歌い上げる「河内音頭」の発祥の地である。
そして銅鼓と銅鐸は同じ時代の製銅と銅器製作技術の産物で、
その形態は周の時代に始まった礼楽用楽器「扁鐘」の発展したものである。
技術が集団の秘伝文明だった当時の時代を考えると、
中国のヤオ人と八尾人とは同じ文化集団だつたとわかる。
銅鐸を代表的文化遺産として残したのは
中国からの移住者・ヤオ人だと断定できるのである。
では北部九州だけに青銅武器文化があるのは、南九州が遅れていたためか?…。
南九州は「鉄器文化圏」だった。
青銅の武器は鉄製武器には刃向かえないほど弱い。
卑弥呼が武力の背景なしに女王に推戴されたはすがないし、
彼女を倒した位宮も中国に
出兵したり魏の大軍と互角に戦ったのだから当然、鉄器をもっていた。
支配力は常に南にあったのである。
『My ブログ』
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿