2012年2月22日水曜日
『山海経』の『周代の倭』のいた位置
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:15頁
《『山海経』の『周代の倭』のいた位置》
《『山海経』の『周代の倭』のいた位置》
以上で『倭』という文字は、
『魏書倭人章』の3世紀当時は確かに日本列島人を指しているが、
それ以前の時代には、
インドから出発して次第に東進した人々を指す「ウパイ」という呼び名が、
東南アジアでウバイ、ウワイと訛った後、
日本列島に到着した人々の集団名であったことがわかった。
すると過去に謎だった
『山海経(センガイキョウ)』に出てくる「倭」の疑問もすべて氷解するので、この結論が正しいことが証明される。
『山海経』には「周時代に越裳が雉を献上し、
倭人が鬯艸(チョウソウ=茸の一種の霊芝=レイシ)を貢いだ」と書いてあるが、
霊芝は日本列島でははとんど採れない希な植物なのに対し、
越(ベトナム)や裳(シャン=ミャンマー・タイ)の一帯には多産するから、
この「倭」は当然、東南アジアにいたのである。
これを周の時代に「ウワイ人」がそこにいたと誤解してはいけない。
文字は同じ『倭』でも実体も発音も違うのである。
もうすでによくおわかりのように、
卑弥呼時代にはウワイと発音されるように変わったが、
それは倭人の中身が変わったせいであった。
卑弥呼たち仏教政権がウワイと呼ばれたために文字の読み方が変わったのだ。
このことは同じ理由で、文字とは全然無関係な読み方に変わった
大和(ヤマト)、飛鳥(アスカ)、春日(カスガ)などの実在で疑問はないと思う。
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