2013年11月30日土曜日

「神功皇后妃」にもミズハワケの神


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:15頁

 「神功皇后紀」の冒頭には、

 仲哀天皇が9年2月に筑紫の橿日(かしい)の宮で崩じたので、

 齋宮を小山田邑(こやまだむら)に造り、

 3月に皇后みずから神主になり、

 武内宿祢らと神託を乞うと、

 いろいろな答がかえってきた中に、

 神が

 「日向の国の橘の小門の水底に居て、”水葉稚之出居神”

  その名は表筒男、中筒男、底筒男神である」

 と答えた記事がある。

 この地名は『古事記』が書く、

 黄泉国から逃げかえった伊耶那岐の命が

 禊祓(みそぎ)をした場所と全く同じ地名でありり、

 『日本書紀』の書く「筑紫日向、小戸の橘」が間違いであることを

 『日本書紀』自身が告白している。

 またその神名の表筒男、中筒男、底筒男の神もまた、

 その伊耶那岐の命の禊祓(みそぎ)の場面に登場する神々であり、

 さらに“水葉稚”は「水葉稚=ミズハワケ」で大学講義録28で詳細に検討した

 反正天皇の名乗りと同じ名であり、

 そのミズハの語源である伊耶那美の命の尿から生まれた神のミズハノメが、

 ギリシャ神話のエウリュノメから生まれた神名であることなども、

 すぐ思い出して戴けたことと思う。

 この橘は間違いなく種子島であり、

 神宮皇后=壹與が玉依姫・オオヒルメとして、

 姉・豊玉姫=狭穂姫の忘れ形見・

 八幡=鵜草不葺合命(ウガヤフキアエズのミコト)=本牟智和気を連れて大隅に渡った、

 あの事件であったことは、

 これらの複数の記録の一致から全く疑いの余地がない。

 《「神功皇后妃」にもミズハワケの神

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2013年11月29日金曜日

「倭国史」を活写している「サカ~サタ」


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:14頁

 大学講義録28の9頁の地図をご覧戴くと、

 サカ~サタの2地名が、

 セットになって要所に分布している事実が一目瞭然にわかるが、

 それは南九州から北九州へ、

 大分から愛媛へ、

 四国から中国地方や近畿へ、

 さらに近畿から出雲へと、

 種子島を出発した天孫族たち、

 その中でも倭の五王勢力が大移動していった痕跡=五王の名乗りが

 描き出すコースと、

 その倭国王=大国主(オオクニヌシ)の出雲隠棲に非常によく合っている。

 それらのサカ~サタは、

 この景行天皇の時か?、後か?。

 誰の時代に?。

 誰がつけた地名か?。

 その年代と歴史を明かにしてみよう。

 本講座ですでに得た私たちの知識では、種子島から皇子を日向に運んだ記録は、

 ① 『大隅正八幡縁起』のオオヒルメと八幡がそれであり、それは前号で検討したとおり

 ② 狭穂姫事件の火の中(ホヌチ)別皇子、

 ③ 木花佐久夜毘売事件の火の中で生まれた3皇子、

 ④ 豊玉姫事件の玉依姫と鵜草不葺合命(ウガヤ フキアエズ のミコト)が、

   皆、そのオオヒルメと八幡に一致する。

 そうして、

 この八幡が軽(カル)の明の宮(アカルのミヤ)(鹿児(カル)の阿鹿児(アカル)の宮)に

 君臨した応神天皇であることもすでに検討済みだから、

 オオヒルメは神功皇后であり、壹與だったことも動かない。

 『記・紀』にはどちらも壹與としての記事はなく、

 全て神功皇后として書かれているから、

 年月を記入している『日本書紀』の「神功皇后紀」に、

 この答を探してみよう。

 《「倭国史」を活写している「サカ~サタ」

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2013年11月28日木曜日

壹與と位宮の悲劇=クマソ退治の真相


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:13頁

 なぜなら日本武尊の父は景行天皇で、

 その名乗りの大足(タイシ)彦忍代(オジロ)別は、

 卑弥呼が魏の帯方郡に狗奴国男王との危急を告げる使者として派遣した

 倭の載斯(たいし)烏越(オジロ)=太子・オジロその人以外にないから、

 すべてが同時に同じ地域にいた人々たちであり、

 その全ての地位と利害の対立が完全に一致するから、

 無関係な別の事件だとは考えられない。

 ただ壹與は女性で、

 景行天皇皇子の、身長一丈、鼎(かなえ)を軽々と持ち上げた

 小碓(うす)の尊とは明かに別人である。

 「景行紀」27年12月の記事に小確の専の熊襲梟師(たける)暗殺が書かれているが、

 その前にも12年12月に日向の隣国・襲の国に熊襲梟師がいて

 市(イチ)乾鹿文と市鹿文という二人の娘があり。

 景行がその姉妹にプレゼントを贈って「陽(偽り)寵(恵み)」騙(だま)すと、

 姉は景行の部下を連れて家に帰って父に濃い酒を炊ませ、

 弓の弦(つる)を切って、同行した兵士に父を斬らせた。

 すると景行はその不孝を咎(とが)めて姉を殺し、妹を火の国造にした。

 というもう一つの熊襲退治がある。

 この二つを比較してみると、

 小確の尊の話は脚色が多く、市乾鹿文のほうが現実的である。

 その名も「市=イチ]がついていて壹與である可能性が高い。

 また現実に壹與は、未亡人の神功皇后として行動した記録を残したのだから、

 火の国造=日本国王になったことも間違いない。

 壹與と位宮の関係は、

 この市乾鹿文事件の解明で、さらに詳細化するのである。

 《壹與と位宮の悲劇=クマソ退治の真相

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2013年11月27日水曜日

戒律が二転三転させた壹與の性別


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:12頁

 こうみてくると、

 同じ「シラ」の名をもった新羅国の始祖王が

 13才で即位した赫居世であり、壹與であって、

 彼女らが卑弥呼政権を倒して新たな国、邪馬壹国を建てたのは事実だ。

 すると壹與がその戒律にさからう「女王」なのは、

 余りにも大きな疑問である。

 この疑問に答えるのが『三国史記』新羅本紀である。

 そこでは十三才で即位した赫居世は男王として書かれている。

 シラ派国(はま)だった新羅はいつまでも壹與を女王のままにして置くことはできず、

 記録の上だけでも男王に性転換を強行するほかなかったのである。

 しかし自国の歴史書は、どうにでも変更できるが、海外の史書はそうはいかない。

 『魏書倭人章』は女王壹與の君臨を記録している。

 これは位宮の仏教徒迎合政策も考えられるが、それ以上に強力な史実が記録されている。

 それは日本武尊による熊襲梟師(たける)暗殺である。

 日本という名の国は7世紀までは鹿児島県にしかなかったし、

 熊襲は奈良の住民だという学者もいないから、

 この熊襲梟師が本来の山人(ヤマト)=日本(ヤマト)武者その人で、

 少女に姿を変えて梟師(たける)を倒した少年は、

 その地位と名乗りを継いだ新・日本武尊になり、

 蛮人・熊襲にされていた敗者のほうは、

 この名乗りの継承が理解できると、

 熊襲とは肥素(ヒノモト・クマソ)=日本、

 すなわち当時の邪馬壹国の最高権力者・位宮のことだと確認でき、

 王位を継いだ少年の実体は壹與になるのである。

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2013年11月26日火曜日

卑弥呼と位宮、宗教対立の根拠と実態


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:11頁

 原始仏教と原始シンドゥ教の双方に深く影響した古典、

 パーリ語の『梵網教(ぼんもう)』にみられる

 「戒品(かいぼん)」をシーラ・ヴァッガということは、

 先にもお話ししたが、

 その戒律では太陽・幸福の女神・吉祥天の崇拝や、神托、巫女、鏡を排斥して厳禁していた。

 これを卑弥呼の『鬼道』と比較してみると

 ① 卑弥呼=日見子でもあるから=天照大神=太陽の崇拝があったことは否定できない。

 ② 女王制=明かに幸福の女神崇拝である。

 ③ 倭迹迹日百襲姫や神功皇后の神託=神托崇拝そのもの。

 ④ 卑弥呼=日巫女でもあるから=巫女、千人の侍女=巫女・歩き巫女=巫女。

 ⑤ 魏の皇帝の詔書がいう「汝の好物」の内に特記された百枚の鏡=鏡。


 すべてがシーラの戒律と逆になっていて、

 位宮らが敵視し、排斥した、仇敵の宗教だったことが、

 はっきり立証されている。

 だから鬼道と対立するその戒品名が「シラ」の名をもっていることは見逃せない。

 その信者たちは当然「シラ」と呼ばれるし、

 その指導者はもちろん「男王」である。

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2013年11月25日月曜日

爾支の真相と景行天皇史を語る大分(おおいた)の名


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:10頁

 「爾支」は本来は沖縄語で北を意味する「ニシ=ニチ」であって、

 それ伊都国最高官の称号になつたのは、

 「女王国以北、特に一大率を置き」と書いている「北の太守」の略称であるからである。

 そんな略称が投に立つのは首都が南の地域にある時代でなければならない。

 それは卑弥呼が巴利国=隼人町に都を移したからであって、

 壹與の邪馬壹国時代にも伊都の代官は「爾支」と呼ばれたのである。

 しかし旧卑弥呼政権が日向に移動して、

 情勢が変化すると倭国の状態は変わった。

 載斯(たいし)烏越(オシロ)=景行天皇が巻き返しをはかって、

 九州東半を確保した時代には大分県が「北」と呼ばれていたことがわかる。

 大分の古代発音はオオイタではなくオオキタである。

 「オオ=倭、キタ=北」で倭国の北部という呼び名を今なお記録し、

 用い続けているのである。

 これで、これまでお話ししてきた、

 卑弥呼政権が巴利から日向へ移動した後、

 景行天皇の巻き返しによって、

 倭国が南九州東半部で再び勢力を盛り返した当時が、

 よくご理解載けたと思う。

 これは何が手掛かりと証拠になったのか?。

 それは日本語として今、

 私たちが使っている

 東西南北=「ひがし・にし・みなみ・きた」という発音が全て、

 無意味な発音だけの先住民のものではなく、

 歴史とともに生まれ育った言葉だったからなのである。

 《爾支の真相と景行天皇史を語る大分(おおいた)の名

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2013年11月24日日曜日

高句麗のシンボル玄武(げんぶ)はシンドゥ教徒だった証拠


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:9頁

 その位宮当時の高句麗の宗教の謎も、その象徴になったもので解ける。

 これまで在来の学者が「中国文化」だと教えてきた「四神」が、

 本当は我が国の固有文化で、それが在来説とは逆に、

 こちらが中国へ教えたのだという証拠でもある「四神の名」についいては、

 繰り返しお話ししてきたから、

 今度は日本語の語源という視点から「東西南北」をみてみよう。

 インド神話の『乳海攪拌』は前にもお話ししたが、

 北のトーテム玄武は、蛇は山を回す綱役のバースキュー龍、

 亀は回転軸を支えるビシュヌーの化身・クールマで、

 『乳海攪拌』の主役を象徴にしたもの。

 それが亀(キ)、蛇(タ)=キタ=北という日本語の源流なのである。

 これは高句麗は倭国連邦の「北の国」だったことと、

 シンドゥ教国だった証拠である。

 では連邦の「南の国」はどこか?。

 南(ミナミ)は「皆(みな)・海(み)」。

 倭国連邦の南の外れが皆、海になっている地域。

 島国の種子島・屋久島以南、南西諸島から流球列島一帯だ。

 では東は?。

 古語「ヒムガシ」は「日向ヒ(ヒムカシ)」で大隈語。

 日向が東の国。

 これも卑弥呼時代だけに通用した特徴をもつ。

 奈良に居たのでは「ヒガシ」という日本語は生まれない。

 では「ニシ」はどういう語源をもつか?。

 日向の西は九州や西部。

 そこには一つしか語源になるものがない。

 それは伊都国の最高官「爾(ニ)支」だけである。

 《高句麗のシンボル玄武(げんぶ)はシンドゥ教徒だった証拠

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2013年11月23日土曜日

張政が見たシンドゥ風習


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:8頁

 奄美のものは江戸時代に大流行したという記録しかないので、

 それ以前のことははっきりしないが、

 中世以後にインド文化が流入したという記録はないから、

 『魏書倭人章』の記録につながるものとみることができる。

 『魏書倭人章』のその記事は卑弥呼政権当時のものではなく

 位宮と壹與が邪馬壹国を樹立した後の記事で、

 その時の筆者は張政以外にない。

 彼は卑弥呼に仲裁者として招かれてきた後、

 長期にわたって滞在して見聞を報告している。

 その新情報が採用され、

 梯儁(テイシュン)の報告は過去の古くて無用の情報として消去されたのである。

 これも政権交替の動かぬ証拠なのだ。

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2013年11月22日金曜日

ヤマ神王・位宮と倭人の風習とその記録者


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:7頁

 潮満つ瓊(たま)や宇宙卵(らん)の存在で、

 山幸彦=位宮は、シンドゥ教徒だったことが明白になった。

 それなら「ヤマ」はシンドゥの神・ヤマ、すなわちシバ神以外にない。

 それは彼が垂仁天皇として、狭穂姫なきあと娶(めと)った后妃の父は丹波の道主、

 道主はビシュヌー神という名乗りだからヤマ神という名乗りも当然あった。

 位宮の高句麗王としての名乗り「山上王」も正しい発音は「ヤマカミ王=ヤマ神王」で、

 サンジョウォウと読むのは間違いである。

 このことからも『三国史記』の高句麗王だからと、

 位宮を朝鮮半島人と思い込み、

 高句麗は遠い外国だと思いこんでいた在来の学者の説は、

 今では古くてもう役には立たない。

 それ以上に重要な問題は、

 『魏書倭人章』の記事がこれで一層、

 鮮明に理解できるようになったことである。

 なぜなら、

 倭人は「大人(たいじん)は4~5婦、下戸でも2~3婦」と

 一夫多妻制だったことを記録している。

 仏教徒は一夫一婦制だからこれはシンドゥ教徒の風習である。

 また倭人の入れ墨の風習も、

 先住カリエン人男子の全身入れ墨だけでなく、

 子供が入れ墨していたことも「大小なく」という記事でわかる。

 今もシンドゥ教徒は子供の内から手などに精細な入れ墨をする。

 奄美では明治の初めまで、

 女性が手首から手掌(てのひら)の背に下図のような入れ墨をしていた。

 その紋様は数種あるが、全てが明かにシンドゥ教のシンボルである。

 「針突(はづき)紋

 川越政則著『鹿児島県史概説』より


 《ヤマ神王・位宮と倭人の風習とその記録者

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2013年11月21日木曜日

天竺日子と結婚した明(アカル)姫=卑弥呼の記録


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:6頁

 ソナカの関連記事は

 『日本書紀』の天孫降臨と崇神、垂仁、仲哀の3天皇紀にあることを

 大学講義録16の19頁でお話ししたが、

 ヒルコの記事は貴子生みの部分だけで他にはない。

 ソナカは卑弥呼と結婚した当時の記事では

 「天若日子(記)・天稚彦(紀)」と書かれている。

 この正しい発音は南九州語で「テンジャッヒコ、テンヂッビコ」で、

 彼がインドから来た仏教宣布団の首脳だったことを考えると、

 原名は「天竺(てんぢく)日子」だったとする以外にない。

 彼の妻は明(アカル)姫で応神天皇の明の宮(アカルのミヤ)と同一の名乗り、

 これも、たびたびお話ししたように、

 大隅正八幡宮=鹿児島神宮を指す名乗りである。

 明るいのは昼間、

 昼=ヒルは、南九州語で「ヒー」で結局ヒルメと同じヒーメ=姫だ。

 大日霎の貴(オオヒルメのムチ)は、オオは大淡、倭だと見当がつくから、

 ヒルメはヒルコとペアの名乗り。

 ヒルメのメは女で女性形だから卑弥呼のこと。

 男性形のヒルコは夫のソナカのことだと、すぐ確認できる。

 この大日霎は誕生した時すでに光華明彩で、六合之内に照徹していたので、

 両親は「天に送り、天上之事を授けよう」と天上に挙げた。

 「天照(ゼウ)ス大神」とはゼウスのことだったと、

 大学講義録23の13頁などでご説明したが、

 「天上(ゼウ)」も天照と同じで「天上之事」とはゼウスを祭る巫女の務めのことだから、

 彼女が仏教に帰依したのはソナカとの結婚後なのである。

 《天竺日子と結婚した明(アカル)姫=卑弥呼の記録

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2013年11月20日水曜日

ヒルコの尊の正体と明(アカル)の官の位置確認


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:5頁

 この『日本書紀』の淡島抹殺を、

 卑弥呼の後継者として女帝の座を回復し、

 卑弥呼以来の女王制を自分が君臨する最大の理由にした、

 持統・元明・元正の3天皇が、容認するはずがない。

 旧倭国の貴族ら18氏の『纂記(つぎぶみ)』を提出させて

 「一書」として挿入したので、

 唐人にも国民にも、その君臨の根拠を示すことができた。

 視点を『日本書紀』の誕生に置くと、

 僅かな淡島記事が果たした役割はこれほど大きい。

 このことをよく理解しておいて載きたい。

 では水蛭子(ヒルコ)は何を意味する何語か?。

 この原名はパーリ語の

 ビローチャナ Viroana 日・太陽・昆盧遮那仏(ビロシャナブツ)=大日如来(だいにちにょらい)で、

 沖縄語ではビルチャナ、

 奄美語ではヒルキャン、

 種子島語でヒルコーになるから

 『記・紀』の筆者が「水蛭子・蛭児」と当て字したのである。

 ところが南九州語で

 蛭(ヒル)はヒー、

 日も昼もヒー。

 ヒルコはヒーコ。日子。

 沖縄語ではビク、何のことはない、

 それは男性仏教徒を指すパーリ語「比丘(ビク)=卑狗」と同じ発音になる。

 本来は大日如来を意味していたソナカの名乗りが、

 やがて男性仏教徒を指す代名詞の比丘と混同してしまったのが

 「毘古・日子・彦」で、

 中世には乞食妨主の意味にまで成り下がった。

 また日はマレー語でハリ。

 巴利(パーリ)国の中世音と一致する。

 これは薩摩がマレー語で壹国(サツマ)なのと同じで、

 南九州にマレー語を話す住民がいた証拠が、

 今もはっきり残っているのである。

 《ヒルコの尊の正体と明(アカル)の官の位置確認

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2本立て正史と遣物がある、もう一つの理由


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:4頁

 その淡島=卑弥呼を『日本書紀』本文は完全に無視して書かない。

 いかに嫌悪(けんお)していたかが読み取れる。

 私(加治木義博)はこれまで『日本書紀』を「唐向けの対外謀略文書だ」と言ってきたが、

 『古事記』をそう呼ばなかったのは、こうした違いがあったからである。

 この男尊女卑強調部分は間違いなく国民向けの『教育勅語』であって、

 唐に対しては何の影響もないからだ。

 このことでおわかりのように、

 天皇たちは最初から

 『古事記』は国民向け、

 『日本書紀』は唐向けと、はっきり区別して編集させていたのである。

 それはなぜか?。

 それは天武天皇が近江前皇朝を滅ぼすことができたのは、

 強力な提携者・旧倭国々民の力によるものだったからだ。

 倭国の旧首脳は大半が天智軍に殺され、残りも東に逃げ去ったが、

 蘇我石川麻呂らの有力者が残り、国民構成は倭国時代とはとんど変わらない。

 天武天皇自身は自己の思想と宗教を強制するだけの実権は持てなかった。

 これが飛鳥に仏教寺院と一緒に、

 仏教とは異なる宗教遺物、

 亀石や酒船(さかぶな)石、

 鬼の雪隠(せっちん)などが残り、

 近くにイスケンダルというアレクサンドロスの別名をもった

 「石上神宮」があり、

 そこにはシンドゥのシバの象徴であるリンガの遺物が大土に集められている。

 こうした2本立て正史と神仏2本立ての国家宗教は、

 この天武政変の実態が理解でできれば謎は残らない。

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淡島は卑弥呼。『古事記』は天武天皇御製


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:3頁

 ではも水蛭子(ヒルコ)が生まれた時のようすをみてみよう。

 伊弊諾(イザナキ)・伊弉冉(ミ)二神の浮橋に立ち、

 天沼矛(アメのヌボコ)で海を掻き回して引き上げると、

 滴(した)り落ちた塩が固まって淤能碁呂(オノゴロ)島になったから、

 そこに天御柱と八尋殿を建て、

 左右から桂を回って出金ったとき、

 女神が先に声をかけたので、

 男神が「女が先に言うのはよくない」といったが、

 案の定、水蛭子が生まれたから葦船に乗せて海に流して捨てた。

 続いて淡島が生まれたが、これも子として数えない。

 ご覧の通り「男尊女卑」思想でヒルコと淡島を排斥してみせている。

 ヒルコはソナカなのだから仏教徒。

 仏教は慈悲が至上命令だから女性的で卑弥呼が愛の女王として君臨できた

 武力第一主義の男性上位思想とは、真っ高から対立する。

 『古事記』を書かせた天武天皇は自身、男性だから女王制では困るし、

 多くの人を殺して帝位に就いた。

 軟弱な仏教思想では誕生して日の浅い日本を守り支配していくことはできない。

 そこで「国生み・貴子生み」の冒頭を利用して、

 「なぜ、男尊女卑が必要な倫理か」を教えこもうとしたのである。

 ヒルコとともに「神の座」から排斥された淡島は、卑弥呼以外には該当者はない。

 淡島は2神の子だが、その思想が異なるから、天武天皇の皇祖ではない。

 というのである。

 このことで、『古事記』が天武天皇の御製であることも同時に確認できたはずだ。

 《淡島は卑弥呼。『古事記』は天武天皇御製

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2013年11月19日火曜日

「正八幡は姪子(ヒルコ)」言語復原史学誕生の瞬間


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:32頁

 ハリソン・フォード主演のアクション映画『魔宮の伝説』の中で、

 インドの農村の守り神になっていた長卵型の宝玉

 (本来1セットになっていた珠と出会うと発光する)が、

 魔宮の神官に奪い去られたのを、

 インディ・ジョーンズ教授が、中国系少年と協力して取り戻したあの玉は、

 シンドゥ教徒が「宇宙卵(らん)」と呼ぶもので、今も大量に見られるが、

 インドのものは材質も様々で、王侯のものには宝石製まである。

 こちらのものは屋久島海岸に多い砂岩製で艶のないザラザラしたものである。

 屋久島は南部が狗奴国だった。

 シンドゥ教時代の遺物が岩石製の珠玉として残って

 山幸=位宮の史実を強力に傍証し続けているのである。

 そのとき中上川氏は意外なことを教えてくれた。

 それは鹿児島神宮の本当の祭神は、

 一般に知られている山幸=彦火火出見の尊ではなく、

 「ヒルコのミコト」なのだというのだった。

 蛭子の命は天照大神の前に、

 岐美2神が生んで流した、神の数に入らない人物である。

 それがこの日本最古の神宮。

 旧官幣大社。

 山幸こと天津日高彦火火出見の尊と、

 その皇妃豊玉姫を祭ると信じていた社の、

 本当の祭神だと聞かされると、血が騒ぐ思いがした。

 12才の冬の奈良平野古墳群の、

 古墳直列発見が私(加治木義博)の考古学への開眼だったとすれば、

 この正八幡大菩薩は蛭子尊だと耳にしたその時こそ、

 『言語復原史学』「誕生」の一瞬だったのである。

 「正八幡は姪子(ヒルコ)」言語復原史学誕生の瞬間

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山幸の満干の瓊(たま)の感触と屋久島の宇宙卵遺物


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:31頁

 私(加治木義博)は戦時中、軍属として陸軍にいて重病に倒れ、

 結腸を全て切除して辛うじて一命を取りとめたあとは、

 日夜『記・紀』を相手に謎解きに時を過ごす日々が続き、

 山幸彦が隼人町の鹿児島神宮に祭られていることもよく知っていたので、

 戦後すぐ、

 遠縁に当たる中上川(なかみがわ)良重権宮司(ごんのぐうじ)を訪ねて鹿児島神宮へ行った。

 神宝を見せてもらうのが主目的で、

 『山幸・海幸』の

 潮満つ瓊(たま)・潮干る瓊(盬盈(みつ)珠・盬乾(ひる)珠)を始め、

 中近世の奉納品などまでみせてもらった。

 神代から伝わるという二つの玉を手に乗せると、

 同じ重みを手に感じたであろう山幸が、

 そこに一緒いて語りあっているような感覚が、

 しっとり私を包んでいたのを今も忘れない。

 その干満(かんまん)2珠は実測はしなかったが、

 直系10数cm、厚さ5cm弱の、

 鏡餅を薄くしたような形をしていた。

 手垢で黒くなったような濃淡のある色艶をしていて、

 材質は水成岩のように見えた。

 人工で成型したもので正円ではなく、

 かすかに削り跡の残る古代人手作りの、

 珠玉というよりは裏返えして三脚にのせれは、

 松脂(やに)を燃す火皿といった感じのものだった。

 それに比べると、

 屋久島南部の海岸で数多く採集されている石珠(たま)のほうが、

 はるかに上手(じょうず)に作られている。

 それは長さ20cm前後、太い部分の直系が10cm前後の長卵型、

 断面は大判を少し引き伸ばしたような形をしている。

 これと同じものはハリウッド映画にも登場した。

 山幸の満干の瓊(たま)の感触と屋久島の宇宙卵遺物

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政変に翻弄(ほんろう)された『記・紀』の編纂情景


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:30頁

 ではそれらの海外神話は誰がもっていて、

 いつ『記・紀』に利用されたのか?。

 この疑問には、

 天武天皇が早世したために国史再編を引き継いだ持統天皇が、

 女帝の意思というより支持者十八氏に強要されて提出させた例の

 『十八氏纂記(つぎぶみ)』が明瞭に答えている。

 女帝がそれを読んで見ると内容は同じなのに文章は氏族によって随分違っている。

 そこで現実的なものを『人皇紀』とし、

 神話的なものをそれに先だつ、

 より古い記録『神皇紀』として、その前に並べることにした。

 これが『日本書紀』の神話部分に羅列された「一書」である。

 本文に使われたのは、

 持統天皇の母系である蘇我氏=ソナカ家のものである。

 それは以後再び女帝の君臨する倭国型政体に復帰し、

 国名まで「藤原=百済倭国(ふじわら)」にもどし、

 国家宗教が天武型神道から

 観世音を本尊とする卑弥呼仏教へ

 大逆転したことが充分証明している。

 本来の本文は日本の文字を使わず

 倭の正統を主張する『古事記』だという考えもあるが、

 『日本書紀』をみると『古事記』のものは「一書」の中にあって、

 むしろ疎外されている。

 だからそれはピュテーア=稗田阿礼を抱えていた奄美王の系統のもので、
 
 以後も低い地位で終始した大(おお)氏のものに過ぎないから無視されて、

 『日本書紀』編纂が進められたと考えるべきである。

 だが『日本書紀』も以後の政変のたびに改変されて、

 旧型はとどめていない。

 政変に翻弄(ほんろう)された『記・紀』の編纂情景

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2013年11月18日月曜日

史実を伝える手段としての海外神話活用


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:29頁

 これは『海幸・山幸』に限らず、他の日本神話にも当てはまる。

 それらを全て「海外からの輸入品」と思い込んだ連中が、

 我が国の建国史を破壊し、抹消してしまったのである。

 私(加治木義博)は「日本神話の全てが史実だ」というのではない。

 私(加治木義博)も

 これまでギリシャその他の国々の神話が

 大量に混入している事実を繰り返しお話ししてきた。

 だがそれらも『記・紀』が、娯楽や、教育用説話などとして転載したのではなく、

 史実を伝える表現手段として活用している事実を、一つ一つ指摘してきたのである。

 なぜそう断定できたのか。
 
 『魏書倭人章』は史実の記録である。

 そこに記録された人々は「全て実在者」だからである。

 それなのに『魏書倭人章』も充分に読めず、

 そこに記録された人物が『記・紀』の誰に当たるかも不明のままなのに、

 「応神天皇より前の『記・紀』の記事は、

  海外の神話や伝説を寄せ集めて作った作り話こ過ぎない」

 と、文部公務員と偏見の強い審議員らが断定。

 それを法の権力を乱用して国民に強制し続けてきたのである。

 だが私たちが『魏書倭人章』を完全に読解してみると、

 応神以前の人々も全て実在者で、

 書かれている記事も、

 全て史実を記録したものであることが明確こ理解でき、

 完全に立証できた。

 それは本講座をご熟読いただいたあなたご自身が、

 誰よりもよくご存じである。

 史実を伝える手段としての海外神話活用

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『海幸・山幸』は我が国のもの。非常識な輸入品説


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:28頁

 だが私たちが知つた『海幸・山幸』は、

 海外では各地に分散してバラバラでしかない事件要素を、

 全てまとめて備えている。

 このことだけで、

 この物語りは「どこで発生したか」を充分に証言している。

 広範囲の海外に住んでいた人々が、

 そこから日本列島へ移住してきて、

 少しずつ持ち寄った部分を寄せ集めて、

 一つの物語りに組み立てることは、

 通信手段の発達した現在でも不可能なことである。

 なぜなら現在でも、

 誰がどこへやってきたと移住状況が全てわかるわけはないし、

 わかってもその数は僅かである。

 ただ古代に比べると通信や交通手段の発達で、

 捜査や交流が便利になっているだけだ。

 ところが、

 古代には10kmも離れると日常の交流はなかったし、

 また海外からの移住者が、

 奇跡的に全部一か所に集中して集まり、

 その人々が知っていた昔話が一つに纏まるということなど、

 絶対にありえない。

 こちらに細部まで事件の要素が揃っていて、

 海外にはその一部分が点々と分布しているのは、

 世界各地で酷似した事件が一斉に同時多発した奇跡があったのではなく、

 その事件はこちらで一つだけ起こったものであり、

 それが、次第に広く伝わって行ったものの、伝わる途中で変形し、

 また時とともに次第に風化して全容が崩れて、

 部分だけが記憶されているために、

 バラバラの要素が分散して残っているのだと、

 明確に判定できるのである。

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