2014年6月7日土曜日

阿曇・安曇(28)エンキ神と「メ」の職能


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 阿曇・安曇(28)エンキ神と「メ」の職能

  エリドゥ市の守護神エンキについて賛歌はうたう。

   鋤とくびきを彼あやつれり、

   偉大なるエンキは

   かの神聖なる畝溝を切り開き、

   年を通じ野に穀物を実らせり、

  エンキ神は豊饒をもたらす創造主であった。

 シュメルの神話には「地の主」として淡水を意味する

 アプス apsu と深い関係にあり、

 灌漑を推進することにより農耕地を誕生させ、

 作物を栽培することにより穀物の実りをもたらしたのである。

  エンキ神の創造主としての役目は、

 「メ」の原初的保持者として権威付けられている。

 「メ」の内容については

 「イナンナとエンキ」と呼ばれる粘土板に

 書かれた神話によって知られる。

 シュメルの「神学者」たちが、

 百余の項目にまとめ上げたエンキ神の職能である。

 ここで重要なことは都市や神殿の建設方法をもたらすことである。

 木工や家造りの技術、皮細工は「神殿の建設」とも関係する。

 家畜飼育についても「羊小屋」によって代表される。

 金属加工に関しても「金属鋳造」「青銅加工」技術について、

 また旅をしての商売にも触れられていr。

 政治的側面として支配権を明確化する

 「司牧」「王」「高貴な王杖」を挙げている。

 神職者については男女の司祭について述べ、

 性的行為を行う神職者の職能を解説している。

 さらに灌漑についても洪水と比較して説明されている。

 その他

 文字、書紀術、音楽、幾何学の方法、家庭生活、祓魔儀礼も

 含まれている。

 これらはエンキ神の創造によるもので、

 同神により指導される分野なのである。
 
 バビロニアの叙事詩にうたわれたとおり、

 葦や木は生えておらず、家もなく、都市もできてなく、

 すべて海であった大地に諸機能を植え付け、

 エリドゥ市をエンキ神は創り上げたのである。

 しかし、

 百余の項目全てが紀元前五千年前、

 エリドゥ市が始まった当時に存在したとは思えない。

 シュメル人やバビロン人が文明の進展の中で

 獲得した知識と技術を神話化して

 まとめ上げたものと判断するのが妥当であろう。

  これらの項目は、

 都市の国家において

 文明化された文化生活を送るための規範を示しており、

 エンキ神によって教唆された天則であり、

 律法をも想定していたことがみえてくる。

 しかし、違反に対する罰則などという内容はなく、

 法律という規範でない。

  「メ me 」は南メソポタミアにおいて

 北メソポタミアに誕れた牛頭信仰の象徴である

 角の変身したものであることがを述べたが、

 その説明援助する事実がバローチー語にある。

 先にバローチー語の角を表す用語が khald の転訛である

  kārt であることを紹介したが、

 同語における「法律」は kārūd で kārt の派生語となっている。

 パキスタンのバルチスタン中心に居住するバローチー人は

 メソポタミアの歴史と密接な関係にあるが、その訳は後述する。

  「イナンナとエンキ」は、

 エンキ神の専有物であった「メ me 」が

 エリドゥ市から他の地方へ伝播されていったことの挿話を語る。

 ウルク市の女神イナンナがエンキ神から

 「メ me 」を入手しようともくろみ、エリドゥを訪ね、

 エンキ神がもうけた酒宴で同神の酔いが回って朦朧としている間に

 「メ me 」をエンキ神から掠め取り、ウルク市へ船に乗せて持ち帰った。

 この挿話の意義をジャン・ポテロは

 「エンキやエリドゥから メ me が奪われたという意味ではなく、

  イナンナとウルクもまたこの時以来エリドゥ同様

  メ me を所有し利用するになったことを意味している」

 といっている。

  つまり、

 エリドゥの神殿の権威が

 他の都市にも波及したことを示しているのであり、

 各都市によって守護神は変わっても

 権威を象徴する神殿の概念が踏襲されていることの証左となる。

 また、

 エリドゥの神殿の信仰に従い奉献が行われたのである。

 森林がなく木材を輸入しなければ入手できない

 南メソポタミア地方にとって、

 北メソポタミアでのように高床式神殿を作るためには、

 木材は不適当であっただろう。

 当然大量に作り得る煉瓦を積み上げた建物を

 神殿とすることに転換されたことは明らかで、

 大規模化も可能となったのである。

 階段は神殿が巨大な土塁の上に造られるようになったために

 必要になったのではない。

 高床式神殿にあった階段が

 「天への門」であるという観念を尊重しているのであり、

 ジックラトの主要な特徴となっているのである。

 エリドゥ文化が南メソポタミア全域へ広がった

 証左の代表的要素である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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