2014年6月16日月曜日

阿曇・安曇(36)インド・十六大国


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(36)インド・十六大国
 超古代にアラビア海から太平洋へ航路を開いた阿曇族
 ―「船」を家とした人々の来歴―

 出典:「インド古代史」:中村元
   :春秋社
   :第三節十六大国
   :243~259頁
 
 十六大国の観念仏典およびジャイナ教聖典によると、

 当時十六の大国が存在していたという。

 しかし「十六の大国」としてまとめることは、

 やや後代になって定型化したものであるらしい。

 原始仏教聖典の詩句のうちには十六大国ということは出てこない。

 『ジャータカ』の詩句のうちには次の諸国が言及されている。

 Gandhara、Pancala、Surasena、Maccha、Madda、Kekaka、

 Saketa、Kosambi、Kuru、Kasi、Vajji、Kusavati、

 Magadha、Anga、Videha、Dasannaka、Goyaniya、

 Assaka、Vamsa、Avanti、Kalinga

 十六の大国(Solasa Mahajanapada)として、

 『アングッタラ・ニカーヤ』には、次の16を挙げている。

 1 Anga

 2 Magadha

 3 Kasi

 4 Kosala

 5 Vajji

 6 Malla

 7 Ceti(cedi)

 8 Vamsa(Vatsa)

 9 Kuru

 10 Pancala

 11 Maccha(Natsya)

 12 Surasena

 13 Assaka

 14 Avanti 

 15 Gandhara
 
 16 Kamboja

 「パンチャーラ国」

 パンチャーラ(Pancala)は

 今日の Rohilkhand と中央 Doab の一部分に相当する。

 この国は「北部パンチャーラ」と「南部パンチャーラ」とに分かれ、

 ガンジス河(Bhagirathi)がその境界線であった。

 前者の首都は Ahicchatra であり、後者の首都は Kampilyaであった。

 クル人とパンチャーラ人とは

 古来北部パンチャーラの支配権を争って戦った。

 プラヴアーハナ・ジャイヴァリ以後の

 パンチャーラ国王のことは何も知られていないが、

 ミィティ ラーの Nimi王と同時代の人として 

 Durmukha(Dummukha) があり、

 またCulani Brahmadatta という偉大な王のあったことが知られている。

 「マツヤ国」

 マッヤ(Matsyya)国の首都はヴィラータナガラ

 (Viratanagara今日のジャイプル州のバイラート)とであった。

 この国のことはすでに述べておいたが、

 ある時期には隣国のチェーディ王国に併合され、

 最後にはマガダ帝国に征服された。

 「シューラセーナ国」

 シューラセーナ(Surasena)国の首都はマトゥラー(Mayhura)である。

 叙事詩およびプラーナ聖典によると、

 マトゥラーはヤーダヴァ(Yadava) 族が支配していたが、

 ヤーダヴァ族はさらにVitihotra 族、Satvata 族などに分かれ、

 またサートヴァタ族はさらに Daivavrdha族、Andhaka 族、

 Mahabohoja 族、Vrsui 族などに分かれていた。

 ヤーダヴァ族の祖先はYaduという人であるとされているが、

 ヤドゥは Turvasa という人とともに言及されていることが多い。

 なおヴリシニ族やアシダカ族は共和政体(Sangha)を

 形成していたことが、

 古文献のうちに伝えられている。

 「アッサカ国」

 アッサカ(Assaka;Skrt. Asmaka またはAsvaka)国は

 ゴーダーヴァリー(Godavari)河の岸にあった。

 この国の首都はPotana, Potali, Paudanya などと呼ばれている。

 その北には Mulaka 国あり、南にはカリンガ国に隣りあっていた。

 アッサカ国はときにはカーシ国に従属していたが、

 ときにはトリンガ国を征服したこともある。

 「アヴァンティ国」

 アヴァンティ(Avanti)国はほぼ今日の Malawa、

 すなわちウッジャイン地方およびナルマダー河渓谷の一部に相当する。

 この国はときには、

 アヴァティとマーヒシマティー(Mahismati=Mahissati)とに

 分けて考えられることもあった。

 プラーナ聖典によると、

 マーヒシマティーの最初の王朝はHaihaya 族と呼ばれる。

 この一族はNarmada 河流域の土着民であった

 Naga 族 を征服して支配者となった。

 このハイハヤ族はVitihotra 族、Bhoja 族、Avanti 族、

 Kundikera 族、(または Tundikera 族)、

 Talajangaha族の五つに分かれていたという。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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