2014年6月18日水曜日

阿曇・安曇(39)ヤーダヴァ族


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(39)ヤーダヴァ族

 超古代にアラビア海から太平洋へ航路を開いた阿曇族
 ―「船」を家とした人々の来歴―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 第7章 メルッハとオフル

 サンスクリット語にもメルッハ Mleecha という用語がある。

 その意味は「野蛮人、異民族」である。

 サンスクリット語はインド・ヨーロッパ語族の方言で、

 その支族アーリア人がインドに侵入して定住を始めたのは

 紀元前1500年頃からであり、

 メソポタミアとルッハとの交易を語る、

 サルゴン王の時代は

 それよりも1000年も遡及する2500年頃である。

 インド亜大陸の中原にアーリア人が次第に進出してきた時に

 すでにメルッハと称される非アーリア人がすべてを含めた

 一般名詞として使うようになったと考えられる。

 先住民とは、

 ドラヴィダ人かあるいはあのバローチ人たちだろうか?

 彼らがバローチスタンに渡来したのは

 紀元前14、13世紀のことであり、彼らは該当しない。

 その先住民はバローチ人がJatt人と呼ぶ人々である。

 パキスタンのマクランにジャディ岬があるように彼らは

 マガンにも居住していたのだろう。

 ジャディとはサンスクリット語にいうヤドゥYaduのことであり、

 その民族名をヤーダヴァYadavaという。

 YaduとYadavaはYadasに由来する。

 その意味は「海の怪物」であり、

 メソポタミアのオアネスと関係する。

 オアネスは魚人であるが、

 サンスクリット語の魚はマツヤMatsyaで、

 この名称は紀元前の16王国のうちマツヤ国の名称でもある。

 ヤムナー川沿いのこの国の南にスーラセーナ国があった。

 マツラ国の首都はマトゥラMathuraで、

 九州の佐賀県・長崎県にまたがる

 松浦地方の名称になっている用語と同名である。

 マツヤ国、スーラセーナ国がヤーダヴァ族の国であったことは

 プラーナ聖典で叙事詩で語られている。

 サンスクリット語のavancは

 「南の、より低き、下方の」を

 意味するが、オアネスのいただおろう

 シュメルのペルシャ湾沿岸地帯を想起させ、

 オアネスOanesと訓音が近似しているので

 ナルマダ川の北方ウジャインを中心とする

 アヴアンティAvanti国との関連をうかがわせる。

 アヴアンティ国の祖をハイハヤ王というが、

 同王はヤドゥの系譜に連なる傍系であるという。

 メルッハの比定地とされるマルワとその周辺地域に

 オアネスと係わる用件が数多くある。

 ヤーダヴァ族がインド・ヨーロッパ語族でないことは、

 その族長のクリシュナについて

 諸聖典、叙事詩の語るところである。

 クリシュナは「黒」であることにより

 非アーリア民の代表であることを象徴している。

 そのため出自をドラヴィダの神として皮膚の色を黒く

 描かれることもあるが、ヤーダヴァ族は白色の皮膚をし、

 頭の黒い地中海人種であることは確かである。

 シュメル人は頭の黒い人といわれた。

 ドイツのシュワーヴェンの人々は黒い人々であった。

 彼等はスエヴィ人でスバルを語幹とする民族であると述べたが、

 アーリア人は地中海人種であるヤーダヴァ族を

 「黒」といったのである。

 Yadu について確認しておきたいことは、

 ヤドゥが月種族であることである。

 ヤーダヴァ族は月神崇拝者の集団である。

 ヤドゥがメソポタミアのウルのナンナ(ル)神殿において

 月神崇拝を行なっていたとみられ、

 後にも月(三日月)崇拝を続ける人々ユダヤ人Judahと

 その呼称が酷似している事実を認めないわけにはいかない。

 アブラムを代表とする月神崇拝の部族がカルディアのウルから

 北シリアのハランに向けて旅に発ったのは紀元前18世紀である。

 一方のヤーダヴァ族は、

 多分ペルシャ湾に船を浮かべて海岸線を

 東西に行き来していたのであろう。

 そのうちメソポタミアからの大量移住が行なわれたと考えられる。

 その時期は南メソポタミアへのセム系アムル人の侵攻が激しくなった。

 シュメル人が消えてしまったとされる

 紀元前2500年頃でないかと推測される。

 サルゴン王の碑文にみられるメルッハとの交易が

 盛んに行なわれた時期である。

 旧約聖書創世記のペレグ伝承による分裂の時である。

 バローチ人は陸路メソポタミアを離れた。

 その結果1000年をかけて現在の地

 バローチスタンに辿り着いたのに対し、

 海上に出たヤーダヴァ族は比較的早くインド亜大陸に着いたのである。

 現在当該国をインド(英語名 India )というが、

 この国名は Sindu がギリシャ語に入り、訛ってできたものである。

 一方サンスクリット語にinduという月を表す用語があり、

 Indu desa はインド(天竺国)を表す。

 現在インドで強力な宗教ヒンズー Hindu 教は、

 このサンスクリット語から派生した Hendu (月)の踏襲であり、

 ヒンズー教徒は月神信徒ともいえる。

 それというのも、もう一つの理由として三日月を象徴とする

 シヴァ神への信仰が篤いからである。

 サンスクリット語には、また月を表す Canda という用語がある。

 この月による Candra がヤーダヴァ族の祖はアトリ仙 Atri といい、

 「リグ・ヴェーダ」で最も多く登場する聖仙である。

 月種族は彼から始まり、彼の子がチャンドラで、

 ヤドゥはその第9代となる。

 チャンドラはインドの神話における月神名でもある。

 また多くの人名に使われている。

 「マウリア王朝を開いたチャンドラ・グプタ、

 20世紀の第二次世界大戦中活躍したチャンドラ・ボースは

 親しい名前である。

 月種の祖であるアトリ仙のその名は「満月」を表すと思われる。

 ヤーダヴァ族の祖地とみられるシュメル語に

 月を表す iti がり、

 「肥満した」あるいは「豊かな」の lu が結合した

 iti-lu は「満月」を意味し、

 この用語が祖語になっていると考えられる。

 アトリ仙を登場させたリグ・ヴェーダはアーリア人が

 作りだしたものであるが、次章で説くように、

 かれらもメソポタミアの周辺から、

 その文化の影響をいろいろな形で受けている。

 ヤーダヴァ族は、シュメルにいた、

 オアネスに伝説化された文明の開拓者たちである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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