2014年6月23日月曜日

阿曇・安曇(44)久士布流多気


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(44)久士布流多気

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦


 鹿児島県国分市・隼人町:久士布流多気/空国(韓国)

 ◎久士布流多気:久満崎神社(鹿児島県姶良郡/国分市山下町・上小川)

 ┌<久士>――――<布流>―<多気>
 │kundi      pura    dake
 │壺・甕・水瓶 満ちた uda・udaka
 │ │      │   水
 │kundi     pura  seka
 │ │      │  流出・放出:泉水
 └<久>ク――――<満>マ――<崎>ン
        (千葉県流山市で豊四季とseka「シキ」となっているので
         「サキ」と訛っても可)

 ※久満崎:現国分市上小川城山公園 この台地を久満崎といい、

  久満崎神社はここに鎮座sきていた。

  日本歴史知名体系「鹿児島県の地名」平凡社

  「久満崎神社は昔隼人城の山続きである久満崎の山上にあり、

   国分郷の総社とされていたが、

   義久が伊勢大神宮を同郷総鎮守としたため、

   当村の産土神となったという」

   ○周辺の地名:

     小川(小河=古後)、清水、上井、川内、川原

     重久(南関町の九重(くしげ)との係わりはなさそうだ)

     知尾(重久、清水にこの地があった。

     吉田東伍『大日本地名辞書』が紹介):「千穂」としての遺称。

      乙宮神社(udaka)下井

 ※止山(とやま)神社(二上/高天ヶ原)

   dvi(=Eng.two):二上(『日本書紀』=上峯:智鋪

   国分市重久(旧東襲山村字重久)

    「王の御幸神事」四所の行幸、重久の樟社、弓張木社、

            弟子丸の小止山社、国分小川の幸田社

    「四所に仮宮を設け正月七日より廿七日まで

     神輿四个所を巡幸ありて、

     種々の式ありしを如何なる故にかありけむ、

     慶長の比より其式止みにきとぞ~」

  祭神:彦火火出見命

 ※手籠川(天降川へ合流)

  国分市北部重久、向花、新町、府中・姫城で合流

  水源・甑臺山(霧島町と財部町境)
 
 ※「日向国風土記」逸文”智鋪郷”

   「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、

    四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴(あか)りなむ」

   とまをしき。

   時に大鉏等の奏ししが如。千穂の稲を搓みて

   籾と為して、投げ散らしたまひければ、

   即ち、天開晴(あか)り、明照り光きき。

   因り手高千穂の”二上の峯”と曰ひき。

   後の人、改めて智鋪と號く。

 ※知尾・智能、知乃は知尾、智能とも書いた。

  知乃名 平安末期~室町期にみえる名田名、

  大隈国のうち、保延元年(1135)2月1日および

  同年2月2日の宮永社役友配状に「武内宮御修理役」を

  配り当てられた所領(国分市清水字堤田)のうちに

  「知乃壱町伍段八寸七分」
 
  ・曽於郡⇒「曽野郡」と表記。

  曽於

  智得名 鎌倉期にみえる名田名、大隈国曽於郡のうち(国分市)。

      正応四年11月日の台明寺田地注文に忘日田として

      「寄田四段<智得(現国分市新町字溝添≒溝副)経由~」

      「溝副五段<経由、智得」

   知尾(sk.tvi)=智得(sk.tvi(e) )美、光輝、淤=野・能

  重久名 鎌倉期にみえる名田名、大隈国曽於郡のうち、

      建治二年(1276)8月の大隈国在庁石築地役配符に

      「曽於郡……重久名十三丁」とある

       (調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)

  重留名 鎌倉期~室町期にみえる名田名

  重富名 鎌倉期にみえる名田名

   留・富=知尾:(sk.tvi)(sk.tvi)美、光輝

 『日本書紀』神代 

  一書に曰はく、高皇産霊尊、真床覆衾を以て、

  天津彦、国光火瓊瓊杵尊に裹せまつりて、

  即ち天磐戸を引き開け、天八重雲を排分けて、降し奉る。

  時に大伴連の~、

  遊行き降来りて、

  日向の襲(そ)の高千穂の槵日(くしひ)の二上峯(ふたがみのみね)
   
  の天浮橋に到りて、

  浮渚在之平(うきびまりたいら)地に立たして、膂宍の空国を、

  頓丘から国覓ぎ行去りて、吾田の笠狭の御碕に到ります。

  天忍穂耳尊、天に復還ろたまふ。故天津彦火瓊瓊杵尊、

  日向の樓日の高千穂の峯に降到りまして、頓丘から国覓ぎ行去りて、
  
  浮渚在之平地に立たして、乃ちへ、

   樓日:[γω-tsh-V]開溝引水:池・泉、井(姶良郡溝辺町)

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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