2014年7月5日土曜日

阿曇・安曇(56)火遠理命:火照命の服従


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(56)火遠理命:火照命の服従

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 出典:「日本古典文学大系」:139~143頁
     発行:岩波書店

 於是火遠理命、思其初事而、大一歎。

 故、豐玉毘賣命、聞其歎以、白其父言、

 三年雖住、恆無歎、今夜爲大一歎。

 若有何由。

 故、其父大神、問其聟夫曰、今旦聞我女之語、

 云三年雖坐、恆無歎、今夜爲大歎。

 若有由哉。

 亦到此間之由奈何。

 爾語其大神、備如其兄罰失鉤之状。

 是以海神、悉召集海之大小魚問曰、若有取此鉤魚乎。

 故、諸魚白之、頃者、赤海鯽魚、

 於喉鯁、物不得食愁言。

 故、必是取。

 於是探赤海鯽魚之喉者、有鉤。

 即取出而清洗、奉火遠理命之時、其綿津見大神誨曰之、

 以此鉤給其兄時、言状者、此鉤者、淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤、

 云而、於後手賜。【於煩及須須、亦宇流六字以音。】


 是(ここ)に火遠理の命、其の初めの事を思ほして、

 大きなる一歎(なげき)したまひき。

 故、豐玉毘賣の命、其の歎を聞かして、其の父に白言(まを)ししく、

 「三年(みとせ)住みたまへども、

  恆(つね)は歎かすことも無かりしに、

  今夜(こよひ)大きなる一歎(なげき)爲(し)たまひつ。

  若(も)し何の由(ゆゑ)有りや。」とまをしき。

 故、其の父の大神、其の聟夫(むこ)に問ひて曰(い)ひしく)、

 「今旦(けさ)我が女の語るを聞けば、

 『三年坐(ま)せども、恆は歎かすことも無かりしに、

  今夜(こよひ)大きなる一歎(なげき)爲(し)たまひつ。』

 と云ひき。

  若し由(ゆゑ)有りや。

  亦此間(ここ)に到(き)ませる由(ゆゑ)は奈何(いか)に。」

 といひき。

 爾に其の大神に、備(つぶさ)に其の兄の失せにし鉤を

 罰(はた)りし状(さま)の如く語りたまひき。

 是を以ちて海の神、悉に海の大小魚(とほしろくちひさきうを)を

 召(よ)び集めて、

 問ひて曰ひしく、「若し此の鉤を取れる魚有りや。」といひき。

 故、諸の魚ども白ししく、

 「頃者(このごろ)、赤海鯽魚(たひ)、

  喉(のみど)に鯁(のぎ)ありて、

  物得食(えく)はずと愁ひ言へり。故、必ず是れ取りつらむ。」

 とまをしき。

 是(ここ)に赤海鯽魚(たひ)の喉(のどみ)を探(さぐ)れば、

 鉤有りき。

 即ち取り出でて、洗ひ清(す)まして、火遠理の命に奉りし時に、

 其の綿津見の大神誨(をし)へて曰ひしく、

 「此の鉤を、其の兄に給はむ時に、言(の)りたまはむ状(さま)は、

  『此の鉤は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすぢ)、貧鉤(まぢち)、

   宇流鉤(うるぢ)。』

 と云ひて、後手(しりへで)に賜へ。

 【於煩及須須、亦宇流の六字は音を以ゐよ。】


 然而其兄、作高田者、汝命營下田。

 其兄作下田者、汝命營高田。

 爲然者、吾掌水故、三年之間、必其兄貧窮。

 若恨怨其爲然之事而、攻戰者、出鹽盈珠而溺。

 若其愁請者、出鹽乾珠而活、

 如此令惚苦云、授鹽盈珠、鹽乾珠、

 并兩箇即悉召集和邇魚問曰、

 今、天津日高之御子、虚空津日高、爲將出幸上國。

 誰者幾日送奉而覆奏。

 故、各隨己身之尋長限日而白之中、一尋和邇白、

 僕者、一日送、即還來。

 故爾告其一尋和邇、然者汝送奉。

 若渡海中時、無令惶畏。

 即載其和邇之頚送出。

 故、如期一日之内送奉也。

 其和邇將返之時、解所佩之紐小刀、著其頚而返。

 故、其一尋和邇者、於今謂佐比持神也。

 是以備如海神之教言、與其鉤。

 故、自爾以後、稍愈貧、更起荒心迫來。

 將攻之時、出鹽盈珠而令溺、其愁請者、出鹽乾珠而救、

 如此令惚苦之時、稽首白、僕者自今以後、

 爲汝命之晝夜守護人而仕奉。

 故至今、其溺時之種種之態、不絶仕奉也。 


 然(しか)して其の兄、高田(あげた)を作らば、

 汝命(いましみこと)は下田(くぼた)を營りたまへ。

 其の兄下田を作らば、汝命は高田を營りたまへ。

 然爲(しかし)たまはば、吾(あれ)水を掌(し)れる故に、

 三年の間、必ず其の兄貧窮(まず)しくあらむ。

 若し其れ然爲(しかし)たまふ事を恨怨(うら)みて、攻め戰はば、

 鹽盈珠(しおみつたま)を出して溺らし、

 若し其れ愁(うれ)ひ請(まお)さば、

 鹽乾珠(しほふるたま)を出して活(い)かし、

 如此(かく)惚(なや)まし苦しめたまへ。」と云ひて、

 鹽盈珠、鹽乾珠、并(あは)せて兩箇(ふたつ)を授けて、

 即ち悉に和邇魚(わに)どもを召(よ)び集めて、問ひて曰ひしく、

 「今、天津日高の御子、虚空津日高、上(うは)つ國に

  出幸(い)でまさむと爲(し)たまふ。

  誰は幾日(いくか)に送り奉りて覆奏(かへりごとまを)すぞ。」

 故、各己が身の尋長(ひろたけ)の隨に、日を限りて白す中に、 

 一尋和邇(ひとひろわに)白ししく、

 「僕(あ)は、一日(ひとひ)に送りて、即ち還り來む。」とまをしき。

 故爾に其の一尋和邇に、

 「然らば汝(なれ)送り奉れ。若し海中(わたなか)を渡る時、

  無令な惶畏(かしこ)ませまつりそ。」と告(の)りて、

 即ち其の和邇の頚に載せて送り出しき。

 故、期(ちぎ)りしが如(ごと)、一日(ひとひ)の内に送り奉りき。

 其の和邇返らむとせし時、

 佩(は)かせる紐小刀(ひもかたな)を解きて、

 其の頚に著けて返したまひき。

 故、其の一尋和邇は、今に佐比持(さひもちの)神と謂ふ。

 是(ここ)を以ちて備(つぶさ)に海の神の教へし言の如くして、

 其の鉤を與へたまひき。

 故、爾れより以後(のち)は、稍愈(やや)に貧しくなりて、

 更に荒き心を起して迫め來ぬ。

 攻めむとする時、鹽盈珠を出して溺らし、

 其れ愁ひ請(まを)せば、鹽乾珠を出して救ひ、

 如此(かく)惚(なや)まし苦しめたまひ時に、

 稽首(のみ)白(まを)しく、

 「僕(あ)は今より以後(のち)は、

  汝命(いましみこと)の晝夜(ひるよる)の

  守護人(まもりびと)と爲(な)りて仕へ奉らむ。」とまをしき。

 故、今に至るまで、其の溺れし時種種(くさぐさ)の態(わざ)、

 絶えず仕へ奉るなり。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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