2014年7月4日金曜日

阿曇・安曇(55)火遠理命:海神の宮訪問


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(55)火遠理命:海神の宮訪問

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 出典:「日本古典文学大系」:137~138頁
     発行:岩波書店

 於是其弟、泣患居海邊之時、

 鹽椎神來、問曰、

 何虚空津日高之泣患所由。答言、

 我與兄易鉤而、失其鉤。

 是乞其鉤故、雖償多鉤、不受、

 云猶欲得其本鉤。

 故、泣患之。

 爾鹽椎神、云我爲汝命、作善議、

 即造无間勝間之小船、載其船以教曰、

 我押流其船者、差暫往。

 將有味御路。

 乃乘其道往者、如魚鱗所造之宮室、其綿津見神之宮者也。

 到其神御門者、傍之井上、有湯津香木。

 故、坐其木上者、其海神之女、

 見相議者也。【訓香木云加都良】
 
 是(ここ)に其の弟、

 泣き患(うれ)ひて海邊(うみべ)に居(ゐ)ましし時に、

 鹽椎(しほつちの)神來て、問ひて曰(い)ひしく、

 「何(いか)にぞ虚空津日高(そらつひこ)の

  泣き患ひたまふ所由(ゆえ)は。」

 といえば、答へて言(の)りたまひしく

 「我と兄と鉤を易へて、其の鉤を失ひつ。

  是(ここ)に其の鉤を乞ふ故に、

  多くの鉤を償へども、受けずて、

  『猶其の本(もと)の鉤を得む』。と云ひき。

  故、泣き患ふぞ。」とのりたまひき。

 爾に鹽椎の神、

 「我(あれ)汝(いまし)命の爲に善き議(ことはかり)を作さむ。」

 と云ひて、

 即ち无間勝間(まなしかつま)の小船(をぶね)を造り、

 其の船に載せて、教へて曰ひしく、

 「我(あれ)其の船を押し流さば、差暫(ややしま)し往(い)でませ。

 味(うま)し御路(みち)有らむ。

 乃ち其の道に乘りて往でまさば、

 魚鱗(いろこ)の如(ごと)所造れる宮室(みや)

 其れ綿津見(わたつみ)の神の宮ぞ。

 其の神の御門(みかど)に到りましなば、

 傍(かたへ)の井(ゐ)の上(へ)に、

 湯津香木(ゆつかつら)有(あ)らむ。

 故、其の木の上に坐(ま)さば、其の海神(わたの)女(むすめ)、

 見て相議(あひはか)らむぞ。」【香木を訓みてカツラと云ふ。木】


 故、隨教少行、備如其言、即登其香木以坐。

 爾海神之女、豐玉毘賣之從婢、

 持玉器將酌水之時、於井有光。

 仰見者、有麗壯夫。【訓壯夫云遠登古下效此】

 以爲甚異奇。

 爾火遠理命、見其婢、乞欲得水。

 婢乃酌水、入玉器貢進。

 爾不飮水、解御頚之璵、含口唾入其玉器。

 於是其璵著器、

 婢不得離璵。

 故、璵任著以進豐玉毘賣命。

 爾見其璵問婢曰、若人有門外哉。

 答曰、有人坐我井上香木之上。

 甚麗壯夫也。

 益我王而甚貴。

 故、其人乞水故、奉水者、不飮水、唾入此璵、

 是不得離。

 故、任入將來而獻。

 爾豐玉毘賣命、思奇、出見、乃見感、目合而、白其父曰、

 吾門有麗人。

 爾海神自出見、云此人者、

 天津日高之御子、虚空津日高矣、

 即於内率入而、

 美知皮之疊敷八重、
 
 亦絁疊八重敷其上坐其上而、

 具百取机代物、爲御饗、

 即令婚其女豐玉毘賣。

 故、至三年、住其國。


 故、教の隨(まにま)に少し行きまししに、

 備(つぶ)さに其の言(こと)の如くなりしかば、

 即ち其の香木(かつら)に登りて坐(ま)しき。

 爾に海神(わたの)女、豐玉毘賣(とよたまひめ)從婢(まかだち)、

 玉器(たまもひ)を持ちて水を酌(く)まむとする時に、

 井に光(かげ)有りき。

 仰ぎ見れば、麗しき壯夫(をとこ)訓壯夫。

 【壯夫を訓みてヲトコと云ふ。下は此れに效へ。】有りき。

 甚異奇(いとあや)しと以爲(おも)ひき。

 甚異奇(いとあや)し以爲(おも)ひき。

 爾に火遠理の命、其の婢(まかだち)を見て、

 水を得まく欲(ほ)しと乞ひたまひき。

 婢乃ち水を酌みて、玉器に入れて貢進(たてまつ)りき。

 爾に不水を飮まさずて、

 御頚(みくび)の璵(たま)を解きて口に含(ふふ)みて、

 其の玉器に唾(つば)き入れたまひき。

 是(ここ)に其の璵、器(もひ)に著きて、婢璵を得離(えはな)たず。

 故、璵著ける任(まにま)に豐玉毘賣の命に進(たてまつ)りき。

 爾に其の璵を見て、婢に問ひて曰ひしく、

 「若(も)し人、門(かど)の外(と)に有りゃ。」といへば、

 答へて曰ひしく、

 「人有りて、我が井の上(へ)の

  香木(かつら)の上(うへ)に坐(ま)す。

  甚(いと)麗しき壯夫(をとこ)ぞ。

  我が王(きみ)に益(ま)して甚(と)貴し。

  故、其の人水乞はす故に、水を奉れば、水を飮まさずて、

  此の璵を唾き入れたまひき、是れ得離(えはな)たず。

  故、入れし任(まにま)に將(も)ち來て獻りぬ。」といひき。

 爾に豐玉毘賣の命、奇(あや)し思ひて、出で見て、

 乃ち見感(みめ)でて、

 目合(まぐはひ)して、白其の父に白ししく、

 「吾が門(かど)に麗しき人有り。」とまをしき。

 爾に海の神、自あら出で見て、

 「此の人は、天津日高(あまつひこ)の御子、

  虚空津日高(そらつひこ)ぞ、」云ひて、

 即ち於内に率(ゐ)て入りて、

 美知(みち)の皮の疊八重(やへ)を敷き、

 亦絁疊(きぬだたみ)八重を其の上に敷き、其の上に坐(ま)せて、

 百取(ももとり)の机代(つくゑ)物を具(そな)へ、

 御饗爲(みあへし)て、

 即ち其の女豐玉毘賣を婚(まぐはひ)せしめき。

 故、三年(みとせ)に至るまで、其の國住みたまひき。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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