2014年7月12日土曜日

阿曇・安曇(75)江田神社<宮崎市>


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(75)江田神社<宮崎市>

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 出典:角川文庫
    :160・161頁

 江田神社<宮崎市>

 宮崎市阿波岐原町産母にある神社。

 延喜式内社。旧県社。

 祭神は伊邪那岐尊・伊邪男ド美尊。

 産母神社・産母さまとも呼ばれる。

 日向灘に臨むーッ葉海岸に近く、

 「和名抄」宮崎郡条に見える江田郷に鎮座する古社で、

 社名は地名によるものであろう。

 創記は未詳だが、

 承和4 年8 月朔日に都濃神・妻神・霧島岑神とともに

 「江田神」として官社に列しており(続日本後紀)、

 平安期には既に創建されていたことが知られる。

 その後、天安2 年10 月22 日に従五位上から従四位下に昇叙し

 (三代実録)、

 「延喜式」神名帳宮崎郡条では

 「江田神社」として日向国式内4 座の1 つとなっているなど、

 日向国内でも有数の古社として、

 古くから朝廷の崇敬を受けていたと思われる。

 中世にはいり、建久8 年6 月の

 「日向国図田帳写」(島津家文書/鎌遺922 ) には

 妻万宮領98 町のうちとして

 「江田社三十丁、右那珂郡内<弁済使宗遠>」と記されている。

 京都醍醐寺の鎮守である清滝社で勧請した諸神を記す

 「清滝宮勧請神名帳」 には「江田明神」、

 文明11年正月の「戒壇院公用神名帳」には

 「江田大明神」として記されており、

 日向国の代表的神社であったのであろう、

 江戸期の寛政元年の「恒例修正月勧請神名帳」(同前)で

 「十二月守護」 として記されている西海道の

 「依田大明神」は当社のことであろうか。

 ………

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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