2012年10月14日日曜日

伊声耆が体験した政変と運命



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:20頁

 《伊声耆が体験した政変と運命
 「伊声耆が体験した政変と運命

 『魏書倭人章』では、

 ただ3字の「伊声耆」だが、

 その当て字の3世紀当時の正確な発音がわかれば、

 これだけの史実がわかるのである。

 しかし、それだけで私たちの仕事は済んだのではない。

 以上みてきたことが本当に正しいのか、検算してみる必要がある。

 まず『魏書倭人章』からみていくと、

 彼は正始四年

 卑弥呼の使者として掖邪狗らと8人で

 献上品をもって魏の政府を訪問したという。

 そのときの肩書きは「大夫」だから、前の使者・難升米と同じ地位で、

 彼らも難升米と同じ「率善中郎将」の印綬を皇帝から授かったと記録する。

 それは全員なのかどうか不明だが、

 少なくとも「等」という複数詞がつけてあり、

 掖邪狗にもこの肩書きがあるから、

 筆頭の伊声耆がその叙綬を受けたことは間違いない。

 ところが卑弥呼死後は二番目の掖邪狗が表面に出て、

 大夫で率善中郎将の掖邪狗ら二十人が、

 帯方郡使・張政を送って魏の政府まで行き、贈り物を献上したと書いて、

 伊声耆は姿を消している。

 このことでも伊声耆が「国譲り」をして政権を去り、

 位宮と壹與の邪馬壹政権には残らなかったことが、

 間接的ながら表現されていて、

 これまで見てきたことの正しさを立証している。

 しかし過去には、伊声耆掖邪狗を一人の名だと誤解して、

 何の変動もなかったと思い込んでいた人ばかりいた。

 記録文献は徹底検討する必要があるという教訓である。

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