2012年10月22日月曜日

実在して今も残る「氷河之前」



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:28頁

 《実在して今も残る「氷河之前」
 「実在して今も残る「氷河之前」

 この「そこ」とはどこだろう?。

 「氷河之前」を「日向のどこか」とみても、

 おおよその意味はわかるが、

 「之前」をこれまでのように意味不明の「の先」などと読まずに、

 特定の地名とみたほうが、はるかに具体牲がある。

 そんな都合のいい地名があるだろうか?。

 ある。

 吉松の北、人吉との中間点に「真幸(まさき)」という地名がある。

 これと「之前」を比較してみよう。

 この「之前」に助詞「ン」を挟むと「之ン前」すなわち「シンサキ」。

 後世これに「真幸」という好字を当て字し、

 真の最前線を強弱するため発音も「マサキ」に変えたと推理できる。

 これがコジツケか、どうかは、

 私たちや他の学者の権威や感情でなく、

 『魏書倭人章』や『古事記』が記録している史実に、

 この答が合理的に一致しているかどうかが決める。

 まずそこが「之前」という意味をもつかどうか考えてみよう。

 そこは確かに宮崎県の西の最先端が、

 鹿児島県と熊本県との境に、

 楔(くさび)のように割り込んでいる。

 まさに「日向の先」そのものだ。

 『古事記』はこの代名詞が現実に使われていた史実を、正確に記録している。

 ではそこが「巴利国への道の口」に合うか。

 『魏書倭人章』の

 邪馬壹国への「隆行一月」は、

 熊本県八代から球磨の人吉へ登り、

 この真幸へ下り、

 吉松・栗野を経て隼人に至る南行一直線のコースだった。

 まさに「女王国の入り口=巴利国への道の口」そのものだ。

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